日常生活では、どんな店屋の主人でもしごくあたりまえに、ある人が自分がこうだと称する人柄と、その人が実際にどういう人であるのかということを区別することぐらいはできるのに、わが歴史記述ときては、まだこんなありふれた認識にさえも達していないのである。それは、あらゆる時代を、その時代が自分自身について語り、思い描いた言葉どおりに信じ込んでいるのである。 『ドイツ・イデオロギー』
070724
■ [memo][link] コモリ氏の新エントリーに脱力

冒頭部。
『政府調査「従軍慰安婦」関係資料集成』という書を読みました。というより、要点に目を通したというほうが正確です。この書は「女性のためのアジア平和国民基金編」となっています。
http://komoriy.iza.ne.jp/blog/entry/243239
読んでいなかった、というのにまず驚くが、しかも結論は「強制徴用なんてどこにも書いてありません」。"要点にしか目を通していない"ってのは、脳内フィルターのことなのか。などと更に脱力しつつ、よくその程度の認識でアメリカのテレビのインタビューに全日本代表選手みたいな顔してべらべら喋れるなあ、厚顔無恥とはまさにこのこと、などとぶつぶついいながらコメント欄を眺めたら、ゼームス槇さんとni0615さんがしっかりコメントしている。
私も及ばずながらコメントしてみよう。
ここで一貫しているのは慰安婦の女性は「募集」されていた、という記述や説明です。
昨日引用したILOの報告書によれば現代における人身売買も新聞広告で現地募集。
また慰安婦の「廃業」もあったこと、前線の慰安婦としては吉原などですでに職業的売春に従事していた女性たちが多数、働いていたこと
このことと性奴隷状態にあった、ということは排除的関係ではない。
吉見義明氏のような慰安婦問題研究者が「日本の政府や軍による女性たちの組織的な強制徴用」をめぐる日本国内での最近の論議には決して入ってこないことも、その理由の一端がわかった気がしました。
私のブログに登場してくる「ホンダ決議案擁護」の人たちも、決議案を支持しても、その決議案が前提とする「日本の政府や軍による組織的強制徴用」という部分には絶対に触れてこないという印象があります。なぜでしょうか。
「強制徴用はなかった」なるどこに向かって叫んでいるのかわからないスローガンをこしらえて連呼しているのは慰安婦=売春婦説の連中である。戦前戦中の日本の悪行を少しでも軽減したいしたいという意図があるからこうしたスローガンが出てくる。しかしながらそもそも従軍慰安婦の問題の中心は強制徴用にはない*1。問題は従軍慰安婦の労働過程をコントロールし、その結果として強制的に性奴隷状態に置いていたのが日本政府と軍部だった、という点である。だから議論にならないのは当然である。失礼ながらも簡単に言えば、「手前の自慰に付き合う人間はおりません」ということになる。
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