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日常生活では、どんな店屋の主人でもしごくあたりまえに、ある人が自分がこうだと称する人柄と、その人が実際にどういう人であるのかということを区別することぐらいはできるのに、わが歴史記述ときては、まだこんなありふれた認識にさえも達していないのである。それは、あらゆる時代を、その時代が自分自身について語り、思い描いた言葉どおりに信じ込んでいるのである。    『ドイツ・イデオロギー』

私家版・従軍慰安婦問題のリンク集(2008・8)

070802

[] 国家動員という視点 23:25 はてなブックマーク -  国家動員という視点 - kmiura  国家動員という視点 - kmiura のブックマークコメント

讀賣社説慰安婦決議 誤った歴史の独り歩きが心配だ 」に対するfinalventさんのコメント。

この問題を短くこうまとめてよいかわからないが、全体像を描く必要があるだろう。私はこの問題は表層的な戦時に留まらず本質的な動員と国家戦略に関連していると見ている。つまり、村落共同体を破壊すればそこでのそれなりの性秩序は解体される。

 イリイチのいう学校・交通・病院の次に、実は、売春宿は本質的に大文字の制度に埋め込まれているのだ。そこまでのリーチをもつ論者は私の見るかぎりいない。というか、イリイチの射程がよく理解されているとは到底思えない。はてななどでも「ソープに行け」メソッドがあり、そのレベルでいろいろ議論が沸くが、「ソープに行け」が可能な制度の意味については、十分に考察されたものを読んだことはない。一言だけ残せば、「ソープに行け」が可能な言説の空間こそが、労働者の動員を可能にする国家戦略と関係している。あるいは国家のもつ影の輪郭を描く。

http://d.hatena.ne.jp/finalvent/20070801/1185929392

20世紀の国家動員(総力戦)という点から紐解くという視点。慰安婦の問題は必然的に国家論につながるのだよな。「狭義の強制」というコンセプトの問題もそこにある。いわば、動員されること・することを無意識化する作業なのである。逆に国家動員を意識化する作業は、たとえば性奴隷とはなにかということをつきつめて考察することである。

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