日常生活では、どんな店屋の主人でもしごくあたりまえに、ある人が自分がこうだと称する人柄と、その人が実際にどういう人であるのかということを区別することぐらいはできるのに、わが歴史記述ときては、まだこんなありふれた認識にさえも達していないのである。それは、あらゆる時代を、その時代が自分自身について語り、思い描いた言葉どおりに信じ込んでいるのである。 『ドイツ・イデオロギー』
071210
■ [memo][link] マンガ及びそれに類する本しか読んだことない人

http://d.hatena.ne.jp/london-tower/20071208
トラバもらったのですが、あまりにティピカルなテンプレ的「従軍慰安婦なんていなかった」意見なので、脱力。しかも参照先があの安倍の提灯持ちアビル記者。
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そんなわけで河野談話はいわゆる「従軍慰安婦=性奴隷」の歴史的な証拠ではない。また、「従軍慰安婦=性奴隷」説が登場した当時もてはやされた「従軍慰安婦=性奴隷」プロパガンダの中の人の定番の「証言」であった吉田清治という人の証言も事実ではないことが判明した。
「歴史」にさえなっていない「従軍慰安婦=性奴隷」説をどのように「修正」すればよいのか。奇妙な話しではないでしょうか。
「性奴隷」という言葉の定義がなされていないので、これは意味のないステートメントでしかない。性奴隷とは何か。そこからはじめないとこの議論は成り立たない。同時にその責任者を問うならば(軍か、民間業者かという土俵ですが)、軍とはいったい何か、という定義をしないとこれまた議論が始まらない。
もうすこし細かいこと。河野談話(”談話”ではなく、ステートメントなので対外的には”声明”ですが)は1993年8月であり、慰安婦システムは1930年代から終戦まであった日本軍が運用した制度。だから”談話”がそこで語られている内容の歴史的証拠であるはずがないのは当然。論理は逆で、歴史的事実であることを日本政府は認める、としたのが河野談話。これをそんな歴史的事実はない、と河野談話を否定しようとしているのが「修正」主義者。
また、吉田証言を「でっちあげだった」とすることで、慰安婦の強制徴集は創作であるとするヨシノリ史観=修正主義は、ネットでいくらでもみかけることができるけど(内容的にはマンガの内容のコピペでしかなく、さんざん歴史研究者に批判されているのにそれにまともに応えず、さらなる同一内容のコピペで上塗り。コピペの量で嘘を糊塗しているとしか見えない)、強制徴集の例はこれまた吉田証言に限らずたくさんある。それに、いちばん問題なのは最も多かったと思われる、詐欺による徴集。看護婦だの女給だのと職をいつわって若い女性を募集し、現地まで連れて行って後戻りのできない状況において慰安婦になることを強要した。このことを検討しなければ「性奴隷」の議論は実に片手落ちというか、議論にならない。
http://idfxfx3fxfx.blog26.fc2.com/blog-entry-628.html
このあたりとかさっきRSSにひっかかってた。
http://d.hatena.ne.jp/london-tower/20071119
に「物量的には勝負にならないしー」なんて書いてあることからも、陰謀論にありがちな被害者意識が強いんじゃないですかね。