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日常生活では、どんな店屋の主人でもしごくあたりまえに、ある人が自分がこうだと称する人柄と、その人が実際にどういう人であるのかということを区別することぐらいはできるのに、わが歴史記述ときては、まだこんなありふれた認識にさえも達していないのである。それは、あらゆる時代を、その時代が自分自身について語り、思い描いた言葉どおりに信じ込んでいるのである。    『ドイツ・イデオロギー』

私家版・従軍慰安婦問題のリンク集(2008・8)

080612

[] capabilityを奪われた状態としての従軍慰安婦 07:53 はてなブックマーク -  capabilityを奪われた状態としての従軍慰安婦 - kmiura  capabilityを奪われた状態としての従軍慰安婦 - kmiura のブックマークコメント

慰安婦という存在はまさにセンが定義するところのcapabilityを奪われた存在だな、と貧困に関する考察をあちらこちら眺めて回りながら思った。人権侵害という軸から問題提起がなされることが多いが、こうした新しい形の開発経済学の点から問題を捉えなおすこともできるのではないか。

不平等や貧困の指標としてセンが提案するのは「潜在能力」(capability )である。しかし,一般にセンの潜在能力アプローチに対する批判は根強く,「特定の機能にかんする情報を系統的に収集することは,往々にして,所得・消費データの収集以上に難しいし,また機能が多層的な概念である以上,具体的にどのような機能の組み合わせを評価対象にすべきかという困難さがついてまわる」(3ページ)と批判される。そのように批判する人たちは潜在能力アプローチの重要性については申し訳程度に認めておきながら,結局,所得によって貧困や不平等は捉えられるのだと開き直ってしまうのが一般的である。容易に得られるという理由で所得概念に逃避しているのかもしれないし,あるいは,そもそも何が本当の不平等であり貧困であるかに気がついていない,つまり何を焦点変数にすべきかという答えを持っていないだけなのかもしれない。

自分の日記の方で引用したこの部分なのだが、「従軍慰安婦はたくさんの給料をもらっていた」と主張してはばからぬ面々が思い出されてならなかった。彼らはまさに「何を焦点変数にすべきか」という点において彼ら自身が貧困に陥っている。センのいう「潜在能力アプローチ」がよりひろく知られることがこうした人間を手段としてしか捉えることのできない狭量を広げる一助になるかも知れない。

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