日常生活では、どんな店屋の主人でもしごくあたりまえに、ある人が自分がこうだと称する人柄と、その人が実際にどういう人であるのかということを区別することぐらいはできるのに、わが歴史記述ときては、まだこんなありふれた認識にさえも達していないのである。それは、あらゆる時代を、その時代が自分自身について語り、思い描いた言葉どおりに信じ込んでいるのである。 『ドイツ・イデオロギー』
080804
■ [keywords] "狭義の強制"の発祥 (キーワード化予定)

大幅に編集中だけどリンクをメモ。”狭義の強制性”はご存知のように論者によって、あるいは一人の論者のなかでも大変フレキシブルにその幅が広がったり狭まったりするので、そのオントロジーをキーワードとして明確にしていこうと思う。ちょうどStiffmuscleさんがそうした仕事を先月から始められているので、連動して。
『狭義・広義の「強制」』:藤岡信勝先生のご高説
http://d.hatena.ne.jp/Stiffmuscle/20080719/p1
『強制連行』について整理する
http://d.hatena.ne.jp/Stiffmuscle/20080702/p1
1. 1992年 秦郁彦氏が『狭義の強制連行』という概念を持ち出したのに反論する形で、吉見義明氏が『狭義の強制連行』『広義の強制連行』という表現を用いる(後に小林よしのりによる攻撃の根拠に使われる)。
2. 1996年 朝日新聞の記事に対して、産経新聞が『狭義・広義』論を出して批判する。(教科書問題)
3. 2007年 何もわかっちゃいない最高責任者が『狭義・広義』論を持ち出し自爆する。(アメリカ下院決議への反応)
なお2と3のあいだには中興の祖として2007年の議論を呼び起こし、アメリカ下院決議を後押しする結果になった2006年の安倍首相(当時)発言がある。
参考リンク:安倍元首相ウェブサイト:「狭義の強制性」を裏づける証拠はなかった
(平成18年10月6日・衆院予算)
当時、私が質問をいたしましたのは、中学生の教科書に、まず、いわゆる従軍慰安婦という記述を載せるべきかどうか。これは、例えば子供の発達状況をまず見なければならないのではないだろうか、そしてまた、この事実について、いわゆる強制性、狭義の意昧での強制性があったかなかったかということは重要ではないかということの事実の確認について、議論があるのであれば、それは教科書に載せるということについては考えるべきではないかということを申し上げたわけであります。これは、今に至っても、この狭義の強制性については事実を裏づけるものは出てきていなかったのではないか。
また、私が議論をいたしましたときには、吉田清治という人だったでしょうか、いわゆる慰安婦狩りをしたという人物がいて、この人がいろいろなところに話を書いていたのでありますが、この人は実は全く関係ない人物だったということが後日わかったということもあったわけでありまして、そういう点等を私は指摘したのでございます。
関連時系列
- 91年 8月14日 金学順が韓国で初めて元慰安婦として名乗りを上げ、記者会見
- 91年12月 6日 金学順ら元慰安婦3名が、軍人・軍属らとともに、日本政府の謝罪と補償を求めて東京地裁に提訴
- 92年 1月11日 朝日新聞、旧日本軍の慰安所設置、慰安婦募集統制を示す資料が吉見義明により、防衛庁防衛研究所図書館で発見されたとの報道。
- 陸軍省「副官通牒」
- 内務省警保局長通牒
- 92年 4月30日 産経新聞、秦の済州島調査結果を報道
- 92年 5月上旬 秦郁彦「従軍慰安婦たちの春秋」(『正論』1992年6月号)
- おそらくこれが調査報告。
- 吉田清治『私の戦争犯罪』の記述を虚偽と主張。
- 92年 8月 92年9月号『諸君!』記事。
- "狭義の強制連行"概念を初めて発表。
- 山木さんのところから。
http://d.hatena.ne.jp/yamaki622/20080323/p1
「狭義の強制連行」という表現を初めて使ったのはおそらく秦郁彦氏だったと思います。秦郁彦氏は、否定派の代表格です。次の文章をご覧ください。(以下、引用内の強調はすべて引用者による)
官憲の職権を発動した「慰安婦狩」ないし「ひとさらい」的連行(かりに狭義の強制連行とよぶことにする)を示唆する公式資料は見当たらないというのである。
(秦郁彦「諸君!」1992年9月号、1993年3月5日「昭和史の謎を追う」下巻p.338)
- 92年11月、吉見『従軍慰安婦資料集』刊行。
- 「一般には、強制連行というと人狩りの場合しか想定しない日本人が多いが、これは狭義の強制連行であり、詐欺などを含む広義の強制連行の問題をも深刻に考えてしかるべき」の記述。
92年当時の状況の解説
- マンガに洗脳されてしまう若者たち(上杉聰さん)
さらに[1991年8月]には、元「慰安婦」である金学順さんのカミングアウトが、[1992年2月]は、その後名乗り出た被害者を含めて、東京地裁に提訴した事件が入る。どちらも、多くのテレビ、マスコミが大きく取り上げ、大ニュースになった。
金学順さんの名乗り出に衝撃を受けた吉見氏は、防衛庁で以前見た記憶のある資料を再調査して、いわゆる日本軍の関与を証明する陸軍省「副官通牒」を発見した(拙著28頁)。この新聞発表が1992年1月11日のことだ。そして吉見氏はこの時、「副官通牒」に密接に関連する「内務省警保局長通牒」も同時に発見していて、それを分析していく中で、当時日本が「婦女売買禁止に関する国際条約」に加盟しており、その国際法上の制約を強く受けていたこと、さらに同条約第2条は「詐欺に依り、又は暴行、脅迫、権力濫用その他一切の強制手段」を禁止し、強制連行を「詐欺」を含むものと「広く規定している」ことを発見する。
さらに同年2月を皮切りに、東京地裁に提訴した元「慰安婦」9人の訴状を分析した吉見氏は、「2名は人狩りともいうべき文字通り暴力的な方法で連行されたと主張しているが、他の多くはだまされて連行されたと述べている」ことを知る。それを先の「婦女売買禁止に関する国際条約」に照らすとき、これも条約に違反していることを見いだす。「一般には、強制連行というと人狩りの場合しか想定しない日本人が多いが、これは狭義の強制連行であり、詐欺などを含む広義の強制連行の問題をも深刻に考えてしかるべき」(以上は、吉見『従軍慰安婦資料集』より)との結論を下したのである。
吉見氏が「広義の強制連行」を活字で発表するのは右資料集が刊行された同年11月のことになるが、資料集は厳密な校訂を必要とし、刊行には長い時間を必要とする。彼が「広義の強制連行」の問題に気付くのは、同年初頭の資料の分析を通してのことであり、さらに被害者による訴状の分析結果によるものである。以上のことは『従軍慰安婦資料集』の当該箇所(32~35頁)に詳しく書かれており、それを読めば誰でも分かる。
ところが、この時告訴した被害者のほとんどが問題にしていない「狭義の強制連行」だけを確かめに、秦郁彦氏が済州島に出かけたのは、ほかならぬ被害者が裁判所に提訴した2ヶ月あとのことである。その後発表された秦氏の調査報告(5月)を吉見氏が読んで、「狭義の強制連行」にこだわる秦氏の姿勢を批判しつつ右の文章を書いたことは、容易に想像できる。
こうした事実は、小林氏によって削られた[ ]の中の重大事件を歴史の表舞台に引き出して初めて見えてくることだ。現実から一部の細かな事実を削ってデフォルメするやり方は漫画の手法そのものであり、なんら問題はない。しかし、重大な点を削って些末な部分を大きく強調するというのは、歴史の偽造に当たる。人の顔や姿を悪くデフォルメする罪は個人に限定されるが、歴史をデフォルメして偽造にまで及ぶ罪は果てしなく大きい。
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メモ(08年8月7日)
92年から08年にかけての「強制」という言葉の運用変化
- 強制連行
- 強制徴募(徴集)
- 強制売春
- 白奴隷、white slave → 性奴隷
- 強制する主体、される主体
- 本人、親、業者、軍、国
- 軍娼制(憲兵)、公娼制(警察)
メモ (08年8月10日、15日) 強制連行の定義。
強制連行の従来の定義。
http://d.hatena.ne.jp/Stiffmuscle/20070831/p1#c
http://d.hatena.ne.jp/Stiffmuscle/20070831/p1#c1188718864
「朝鮮人強制連行」は「国家の政策に基づく戦時動員(国家総動員法、徴用令)」として従来定義されていた。
「国家総動員法に基づく労務動員計画と国民動員計画による朝鮮本土からの連行。ついで、国家総動員法に基づく勅令である国民徴用令による労務動員、更には、軍人・軍属・挺身隊・従軍慰安婦としての戦時動員をすべて包括する」(朝鮮人強制連行調査団の見解)
秦氏が”狭義”を持ち出したのは上記の定義が通説だったから、と考えられる。原義にもどれば、従軍慰安婦ははたして戦時動員であったか否か、という点が「強制連行があったのか、なかったのか」という問いに答えを与える上での焦点になる。
なお、今では比較的詳しい経過のわかっている1937年12月から1938年1月にかけての中支那方面司令部の指示に発する”上海皇軍慰安所酌婦3000人募集計画”にみられる上海領事館、内務省、上海派遣軍陸軍武官室、内地の各地方警察署の連携を鑑みれば、内地における慰安婦の募集・渡航は戦時動員であることに他ならない。
080819追記
- 以下はよく流通している説。
最初に「広義」「狭義」を持ち出したのは、中央大学商学部教授の吉見義明。
朝生で小林よしのりに「強制連行はなかったな」と詰め寄られ渋々それを認めるも、何としても日本軍に責任を押し付けるべく後に強制連行の定義を拡大して「広義の強制連行」といい始めたのが最初。
この「朝まで生テレビ」は97年1月31日深夜放送なので、92年より5年後。
http://www.tv-asahi.co.jp/asanama/video/9701/panels9701.html
- 92年1月、副官通牒の新聞発表に関して
吉見義明氏はそんなことは言っていないと否定しているが、朝日新聞で慰安婦史料の発見記事が出ることを事前に「旧知の吉見氏から………聞いていた」(一二頁)と書いていたり、秦氏が頭の中で作り上げた「事実」が一人歩きしているようだ。
秦郁彦『慰安婦と戦場の性』批判
『週刊 金曜日』290号、1999年11月5日
林 博史
以下、整理されていませんが、2007年関連。
- 「広義のいじめ」とか「狭義の強制連行」とか
- 従軍慰安婦問題 日本の主張はアメリカには理解できない
- 強制売春を肯定する国会議員、松原仁
- よくわかる慰安婦問題
- Next Sori, Next Sorry
- 歴史修正主義者のメソドロジー
- 従軍慰安婦:ほんとうのことを言う時(普段使っている普通の意味で)(テッサ・モーリス鈴木)
- 翻訳: http://groups.yahoo.co.jp/group/TUP-Bulletin/message/715
- 翻訳: http://d.hatena.ne.jp/dempax/20070719
- 英文: Comfort women: It's time for the truth (in the ordinary, everyday sense of the word)
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「広義の強制連行」
それは実際資料を読んでみて強制連行の資料が本当にないらしいと気づいた吉見義明教授が
逃げ道として用意した言葉だと解釈する以外ないのだ!
(新・ゴーマニズム宣言4巻p150)
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吉見先生は、秦氏に対する反論として「広義の強制連行」と表現したに過ぎないのに、とんだ濡れ衣です。
狭義に対して広義とするのではなく「通常の意味での強制連行」としてなおかつその1992年以前からの経緯を含めて定義しなおしたほうがいいのかもしれません。