2007-04-26「従軍」という言葉について(追記あり)

小倉秀夫さんの「「従軍」という言葉」
小倉秀夫さんが、そのブログla_causetteで、「「従軍」という言葉」というエントリをアップされています。
http://benli.cocolog-nifty.com/la_causette/
http://benli.cocolog-nifty.com/la_causette/2007/04/post_c695.html#comments
その主旨は、
ネット上での従軍慰安婦論争を見ていると、「従軍慰安婦」という言葉自体を用いること自体を問題視している人が少なくないようです。
しかし、それらの人には申し訳ないのですが、「従軍」という言葉は、「軍により強制された」という意味合いを含みません。そのことは、「従軍記者」「従軍看護婦」等の用語例からも明らかだと思います。ネット上で国士気取りの方々は、「味方」以外の言葉を勝手に悪意に解釈しては憤ってみせる傾向があるようです。
というところにあるのですが、興味深いのは、小倉さんがネット上で検索できる国会の議事録システムから、「慰安婦」の用例を引き出してきて、例示されている点です。
の3例が紹介されています。
1.「私たち就業婦(大阪府接待婦組合のメンバー:永井)の中には、(略)軍の慰安婦として働きおり引揚げたる者(もおり:永井注)」
2.「軍の慰安婦ですね。私も兵隊に行きましたからよく知っていますが、慰安婦は、陸軍でもどこの部隊にも所属部隊がございました。」「慰安婦は、軍属にはなっておりません。しかしながら、敵襲を受けたというような、いわゆる部隊の遭遇戦といったようなことでなくなられた場合におきましては、戦闘参加者として準軍属の扱いをしておるはずでございます。」
3.「いわゆる戦場へ慰安婦がかなり派遣されておったと思うのです。(略)聞くところによりますと、無給軍属ということで派遣をしておる。さらにこの派遣につきましては、それらの業者と軍との間で、おまえのところでは何名派遣せよというようなことで、半強制的なようなかっこうで派遣されておるというようなことも私聞いておる次第でございます。」
これらの用例からすると、「従軍慰安婦」という言葉こそ平成2年にならないと出てきませんが、「慰安婦」に「従軍」的な要素があることはかなり古い段階から認識されていたということができそうです。
つまり、上記の用例からわかるように、「慰安婦」は「従軍」していたとみなされていたわけだから、「慰安婦」を「従軍慰安婦」とよぶことは、少しもさしつかえないのだ、と。
mohnoさんのコメント
それに対して、mohnoさんという方が、「従軍慰安婦」という言葉全体が「軍により強制された」という意味をもっているから排撃されるのであって、「従軍」自体が問題なのではないとの主旨のコメントをされました。以下のように。
(千田夏光氏の著書を読んではいないのですが)「従軍慰安婦」という言葉が「軍の強制」という説明で登場したため、「強制」という意味合いを含んだ定義になっていると認識されているからではないでしょうか。
問題視しているのは“従軍”ではなく“従軍慰安婦”という言葉であり、それを否定することは、「慰安所」が(あるいは「特殊慰安施設協会」なども)、軍を相手にしていたことを否定するものではないでしょう。
そこは突っ込みどころではないと思いますけどね(お互いに)。
mohnoさんの文中、「「強制」という意味合いを含んだ定義になっていると認識されている」とありますが、これが「従軍」という言葉の定義が「「強制」という意味合いを含んだものとして認識されている」という意味で書かれているのか、それとも「従軍慰安婦」という言葉全体の定義がそうであるとの主張なのか、ややあいまいです。
しかし前後の文脈から判断すれば、「従軍慰安婦」の「従軍」という部分をさして「「強制」という意味合いを含んだ定義になっていると認識されている」と、mohnoさんが主張されていると、解釈すべきでしょう。
その点で、以下に引用する私のコメントには、誤解があったことをあらかじめ指摘するとともに、ここであやまっておきます。
永井和のコメント
お節介な私は、千田氏の著書の意図がどうであれ、千田夏光『従軍慰安婦』(1973年)が出版された当時、必ずしも「「従軍慰安婦」という言葉が「軍の強制」という説明で登場したため、「強制」という意味合いを含んだ定義になっていると認識されてい」たのではないということを示すために、以下のコメントを書き込みました。
はじめまして。永井和と申します。
>(千田夏光氏の著書を読んではいないのですが)「従軍慰安婦」という言葉が「軍の強制」という説明で登場したため、「強制」という意味合いを含んだ定義になっていると認識されているからではないでしょうか。
千田夏光氏の『従軍慰安婦』が刊行された時点で、「「従軍慰安婦」という言葉が「軍の強制」という意味合いを含んだ定義になっていると認識されていた」という推測は、根拠がうすいですね。
1974年に千田夏光のドキュメント『“声なき女"八万人の告発・従軍慰安婦』を原作とした映画『従軍慰安婦』が東映で制作・配給されます。監督は鷹森立一、脚本は石井輝男。
http://movie.goo.ne.jp/movies/PMVWKPD20028/story.html
によれば、そのあらすじは、以下のとおりです。
あらすじ
昭和十二年秋、秋子、道子、ユキ、梅子等は、銘酒屋の主人・金山に前金千円で買い集められた。彼女たちは北九州の貧村の娘で、家のために売られて来たのだが、兵隊を慰めるのはお国のため、と信じきっていた。道子とユキは既に男を知っていたが、秋子と梅子は生娘だったため、金山は後に女たちを支那に送るのに便宜を計ってもらうため、輸送指揮官に水揚げさせた。秋子には幼ななじみの恋人・正夫がいるが、彼は突然北支へ出征することになり、二人はひろ子の上手な取計いでしばしの逢瀬を楽しんだ。昭和十三年春、多くの兵士たちに混って秋子、道子、ユキ、そして病持ちのふさ、朝鮮出身の金子たちが支那大陸へと送られた。九江に落ち着いて間もなくは、慰安婦を求める兵隊の列が絶えず、彼女たちは一日数十人からの相手をした。梅子、道子、ひろ子は数日で前借金を返済してしまう程だったが、若い兵隊に同情し、しいてはお国の為になるのならば、と居残る決心をした。戦争は更に激しく長期化した。従って慰安婦たちも大事に扱われたが、彼女たちの肉体は徐々に蝕まれていった。そんなある日、ふさが喀血して倒れた。ふさは貧しかった母親がただ一つ持たせた綿入れの半纏を装い、皆が合唱する故郷の民謡「佐渡おけさ」を聞きながら息を引きとった。昭和十三年秋、戦場は南下し、日本軍は広東に迫った。慰安隊は前線基地へと送られた。秋子はそこに正夫のいる栄部隊があることを聞かされ、彼を探し求めたが、内心は多くの兵隊に抱かれている自分の哀れな姿を見られるのが、たまらなく恐かった。二人は再会した。そして正夫の暖い言葉に秋子は激しく燃えるのだった。やがて、支那軍の激しい攻撃を受け、負傷者が続出したため、慰安婦は看護婦としても狩り出された。秋子の目前で何人かの将兵が倒れ、遂に正夫も銃弾を浴びた。秋子は無我無中で飛び出し正夫にしがみつくが、その背後から情容赦なく銃弾が突きささった。後に残されたひろ子、ユキ、道子、金子は死んだ仲間を手厚く葬ることもできず、ただ明日への望みを祈るだけたった。
このサイトに収録されている解説でも「己の肉体を将兵に捧げることが「お国の為」と信じて戦地へ赴いた慰安婦たちの最前線における極限の性を描く」とありますので、タイトルにある「従軍慰安婦」には「軍による強制」という意味合いが定義として含まれているようには思えません。
少なくとも、千田氏の著書を映画化した東映サイドでは、「従軍慰安婦」は「軍により強制された」と考えていなかった、あるいは考えていたとしてもそれを前面にうちだす気がなかったことが、この「あらすじか」らわかります。まして、「従軍慰安婦」は「軍により強制された」ことを意味するから使ってはならないなどとは、考えていなかったようです。「慰安婦」に「従軍」を冠することについても、何の疑問ももっていなかったとみえます。
mohnoさんのコメント・2
この私のコメントに対して、mohnoさんがさらに次のようなコメントをされた。
永井さん、解説ありがとうございます。なるほど、失礼しました。この時点では“従軍”=“軍につき従って”なのですね。そして、どこかの時点で、以下のような意味で再定義されてしまったということなのですね。
http://dictionary.goo.ne.jp/search.php?MT=%BD%BE%B7%B3%B0%D6%B0%C2%C9%D8&kind=jn&mode=0&base=1&row=0
↑wikipedia より、こっちの方が深刻かも^_^;
mohnoさんがリンクをはっている先は、gooの辞書サービスで「従軍慰安婦」を検索した結果です。この辞書サービスは、三省堂の『大辞林』第二版をベースにしています。
じゅうぐん-いあんふ ―ゐあん― 6 【従軍慰安婦】
日中戦争や太平洋戦争中、朝鮮などアジアから「女子挺身隊」の名で動員され、兵士相手に慰安所で性の相手となることを強要された女性たち。1991年韓国などの元従軍慰安婦から補償と謝罪要求が提起された。
この国語辞書の説明では、「軍により強制された」とは明示的に書かれていませんが、「「女子挺身隊」の名で動員され」との記述からみて、mohnoさんがそう理解されたように、「国家により」「慰安所で性の相手となることを強要された」との意味が含まれているとみても、まちがいではないでしょう。
私が東映映画『従軍慰安婦』の例を出して、1974年の時点では、mohnoさんが主張するような認識は必ずしも一般的ではなかったと言ったので、mohnoさんは、現在では『大辞林』のような辞書にもそういう解釈がのせられているほどに、一般的となっていると反論されたわけです。
しかし、だからといって、つまり「従軍慰安婦」の辞書による定義が「軍により強制された」となっているからといって、「従軍」に「軍により強制された」との意味が新たに生まれるはずもないでしょう。
じゅうぐん 0 【従軍】
(名)スル
軍隊につき従ってともに戦地へ行くこと。
「軍医として―する」
「軍により強制された」という意味はありません。ちなみに「慰安婦」をひくと、次のようになります。
いあん-ふ ゐ― 2 【慰安婦】
⇒従軍(じゆうぐん)慰安婦
この辞書は、「慰安婦」=「従軍慰安婦」という立場をとっているわけです。よって「慰安婦」の定義中にすでに「軍により強制された」との意味が入っていることになります。
永井のコメント・2
そこで私は、上記のmohnoさんのコメントに、次のように反論しました。
はじめまして、mohnoさん。
この時点では“従軍”=“軍につき従って”なのですね。そして、どこかの時点で、以下のような意味で再定義されてしまったということなのですね。
私のコメントはすこし舌足らずだったようですね。小倉さんが正しく指摘されているように、「従軍」という言葉そのものには、今も昔も「軍により強制された」という意味合いは含まれません。「従軍」とは、「軍の一員としてまたは軍につきしたがって戦地に行く」という意味です。
「従軍」という言葉に「軍により強制された」という意味を含ませて解釈するようになったのは、あるいはこの語は、そういう意味をもつとの新たな解釈を創出した(私にはそれは誤解釈としかおもえませえんが)のは、1990年代になって「従軍慰安婦はなかった」という言説を主張した人々です。
お示しの大辞林の「従軍慰安婦」の項は、「「女子挺身隊」の名で」という箇所については、再検討すべきでしょうが、しかし、「兵士相手に慰安所で性の相手となることを強要された女性たち」という説明は、まちがいないく正しい。
この説明は「従軍」をとったただの「慰安婦」でも変わりません。すなわち「従軍」ではなくて、「慰安婦」という言葉の中に「軍により強制された」という意味が付属しているのです。
しかし、さすがに「従軍慰安婦はなかった」という主張をする人でも「慰安婦はなかった」と強弁する人はいません(本当ならそう主張すべきところなのですが)。
そのために、「従軍」という言葉の方に、語義としては本来は含まれていないはずの「軍により強制された」という意味が、押しつけられることになったのです。
元慰安婦による訴訟がひきがねとなって、1990年代には「従軍慰安婦」は「軍により強制された」との解釈が一般的に広まります。それとともに、それを否定する動きも強力におこってきました。それ以前には、「従軍慰安婦」は「従軍」していたのか、それともそうではなかったのか(表現を変えると、慰安婦は軍と関係のない民間の売春婦だったのか、否か)が争点でした。しかし、軍との関係を認めた河野談話以降は、「軍による強制」があったのか、なかったのかに、争点が移行します。
「従軍慰安婦」は「軍により強制されたのではない」すなわち「軍による強制はなかった」と主張する論者は、「従軍慰安婦の軍による強制はなかった」とは言わずに、端的に「従軍慰安婦はなかった」と主張しました。元来は、この言葉そのものは、「「従軍慰安婦」という言葉は当時は使われていなかった」という事実をさすものとして登場したのですが*1それがいつの間にか、「従軍慰安婦の軍による強制はなかった」という主張と同じであるかのように流通するようになったのです。
「従軍慰安婦の軍による強制はなかった」。この主張の是非はひとまずおくとして、この文言であるかぎり、「従軍」という言葉に「軍により強制された」という意味が生じることは、まずありえません。同じように、「「従軍慰安婦」という言葉は当時は使われていなかった」という命題から、「従軍」という言葉にそのような意味が発生することも考えられません。
しかし、「従軍慰安婦の軍による強制はなかった」という意味で、「従軍慰安婦はなかった」という文言を使用すると、「従軍慰安婦」という言葉そのものに「軍による強制」の意味が付属させられることになります。そして「慰安婦」という言葉が存在していた歴史的事実は、誰も否定できないので、結局「軍による強制」はあとから付け加わった「従軍」の方に帰属せしめられることにならざるをえません。「慰安婦はいたが、従軍慰安婦はいなかった」。
その結果あたかも「従軍」が「軍による強制」の意味をもつかのような錯覚が生まれることになるのです。これは、ある意味で論理的な必然であると言ってもよいでしょう。
追記:この「錯覚」の論理的に行き着く先が、「「従軍慰安婦」という言葉は、日本を貶めるために(千田夏光によって)造られた造語である」という主張ですが、それが誤りであることは、和上に紹介した1974年の東映映画の内容からして明らかです。
軍慰安婦の法的地位は「軍従属者」
なお、「慰安婦」は軍の制度から言えば、たとえば陸軍の場合、野戦酒保付属の慰安施設の従業員ということですので、法的には「軍従属者」という扱いになります(一部の慰安婦は衆議院の議事録にもあるように、無給軍属となった例もあるようですが)。「軍従属者」であるので、「従軍」していたと言って少しもあやまりではありえません。なお、法令用語としての「軍従属者」は陸海軍の軍法会議法および陸軍の場合は作戦要務令に見ることができます。
今日のTVも新聞も、NHKも朝日新聞も従軍慰安婦と言ってますね。右派の努力にも関わらずこの言葉は今も生きているというか定着しているのだと思います。そしてNHKなどが別に強制の有無など含めず通用する言葉として使っているのに、逆に彼ら右派はそこに「強制」の意味をかぎ取りであるが故に嫌い攻撃しているのが今起きている現象なのではないでしょうか。
それらの右派の人々が、「従軍慰安婦」には「強制」の意味をかぎ取り、「慰安婦」にはそれをかぎ取らないのはなぜなのでしょうかね。
このエントリで言及している、小倉秀夫さんのla_causetteの「「従軍」という言葉」のコメント欄でのやりとりは、私のこの日記で紹介したあともまだ続いているのですが、さきほど、最後のコメントを記入したところです。
なぜ、「従軍」に「軍による強制」の意味があると錯覚するのか、それについて述べたものです。
>>
正確に言いますと、前とその前のコメントで私が述べたかったのは 「日本語は正確に表現しましょう」ということなのですが、どうやらご理解いただけなかったようで、残念です。
もういいちどくりかえすかたちになって、恐縮ですが、私が言いたかったのは次のようなことです。
「従軍慰安婦の軍による強制はなかった」ということを言いたいがために、「(慰安婦はいたが)従軍慰安婦はなかった」という文章を使用すると(そういう日本語の用法は正確な表現とはいえない)、ほぼ論理必然的に、本来まったくそのような意味をもっていない「従軍」という語に、「軍によって強制された」という意味があるかのような錯覚におちいってしまう。そして現にそういう錯覚現象が生じたのであり、今なおそのような例はみられる。
<<