日本軍占領下のビルマにおけるインフレについて () RSSフィード
 

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2nagaikazunagaikazu   1  The Global History of Currencies (GHOC)の記述について

kmiuraさんが紹介された、Global Financial Data提供のですが、その戦時中のビルマについての記述、どうも腑に落ちません。

The Global History of Currencies (GHOC)

http://www.globalfinancialdata.com/index.php3?action=showghoc&country_name=Myanmar

この部分なのですが、

When invading Burma during the Second World War, from about 31 January 1942, Japanese forces initially carried Japanese military dollars issued in Malaya. A decree of the Japanese military administration dated 1 May 1942 stated that Japanese military dollars would continue to be legal tender. By the same decree, the Japanese military rupee (BUG) became a decimal currency. By the regulation of 15 March 1943, the Burmese rupee continued to be legal tender, as a Japanese tactic to win local support, but the rupee was inconvertible into pound sterling. Limited amounts of (Burmese) Indian rupees were apparently accepted by the Japanese at 4 (Burmese) Indian rupees = 1 Japanese military rupee. The prewar exchange rate had been about 1.3 Japanese yen = 1 (Burmese) Indian rupee. On 1 May 1942, the Japanese military commander-in-chief in Burma declared that Japanese military dollars for Malaya and Singapore would also be allowed to circulate in Burma.

The Japanese also created the Burma State Bank on January 15, 1944 to issue banknotes. The Japanese divided the Rupee into 100 cents, whereas the British had divided the Rupee into 16 Annas as in India. The British demonetized Japanese occupation currency on 1 May 1945. The market exchange rate had fallen to 100 Southern Development Bank rupees = 1 Indian rupee.

 1942年5月1日の日本軍当局の布告(A decree of the Japanese military administration dated 1 May 1942)は、「通貨に関する集団長布告」というもので、それが出されたことは、太田常蔵『ビルマに於ける日本軍政史の研究』によって確認できます。この布告で、マラヤから持ち込んだドルを通貨とすること、および軍票ルピーが10進法であることが規定されているのも、まちがいありません。しかし、この布告では同時に在来通貨の流通も保証していますが、そのことは上記の英文ではふれられていません。

 問題は次の1943年3月15日の規則(the regulation of 15 March 1943)です。上記英文ではこの規則で、在来通貨であるビルマルピーの流通が保証されたが、しかしポンドスターリングとのリンクは切断されたとありますが、この1943年3月15日の規則なるものがよくわかりません。少なくとも太田氏の軍政史には出てきません。

 1942年3月15日付けの「林集団(ビルマ占領地統治を担当した第15軍のこと)占領地統治要綱」なら存在し、その全文を太田氏の著書でみることができます。その「統治要綱」の通貨に関する部分はこうなっています。(原文カタカナ)

第27条 通貨に関しては治安並に経済戦力の増強を主とし施策し、差し当り「ルピー」貨を流通せしむる外、「ルピー」軍票を併用す。但し速かに新通貨制度を確立し之が回収を図るものとす。

インドルピーの使用は機を見て之が流通を禁止する処置を講ずるものとす。

 占領当時、ビルマでは、ビルマルピーインドルピーの両方が流通していたようであり、占領軍は、前者は流通を禁止せず、後者は敵性貨幣ということでいずれ流通を禁止するつもりであったわけです。

この部分、上記英文の

the Burmese rupee continued to be legal tender, as a Japanese tactic to win local support,

 こちらに該当します。その続きのこの部分に該当するものは「要綱」にはありません。

but the rupee was inconvertible into pound sterling.

 しかし、インドルピーの禁止はポンドスターリングとの交換性の禁止に通じますので、英文のような解釈は強引ですが、無関係ではありません。

 というわけで、1943年3月15日の規則(the regulation of 15 March 1943)は、1942年3月15日の規則(the regulation of 15 March 1942)の間違いであろうと推測できます。

 さて、いちばん問題になるのは、その次の、ここです。

Limited amounts of (Burmese) Indian rupees were apparently accepted by the Japanese at 4 (Burmese) Indian rupees = 1 Japanese military rupee.

日本語訳は、「かぎられた量の(ビルマインドルピーが日本人(軍)によって、(ビルマインドルピー4に対して日本軍票ルピー1のレートで受け取られたらしい。」ですが、もちろん前記「林集団占領地統治要綱」には、このようなことを裏づける規定はどこにもありません。また、太田氏の著書にも出てきません。

 そもそもこの「(Burmese) Indian rupees」が、「統治要綱」のビルマルピーなのか、インドルピーなのかあいまいです。インドルピーならば、それの流通が禁止される時に、日本側が4対1のレートで軍票と交換するかたちで回収したのかもしれません。

 いずれにせよ、この記述は私が見た南方軍政の通貨政策に関する文献から見ると、理解しがたいものと言わざるをえません。

 ビルマ国立銀行の開業は1944年1月15日でまちがいありませんし、新ビルマ通貨が10進計算であったことも事実です。しかし、ビルマルピーを10進にしたのは、国立銀行設立時ではなくて、それより前の1942年9月15日の「ビルマ貨幣調整令」によります。

 

 ということで、このThe Global History of Currencies (GHOC)は、不正確な記述をふくんでいるのはたしかです。

返信2007/06/04 20:00:35