5:
Stiffmuscle
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Re:論戦お疲れ様です
>『現代コリア』1999年1・2月合併号に『「慰安婦伝説」--その数量的観察』というタイトルで
>掲載されています。
『現代コリア』掲載の秦論文ですが、わたしはこれを大阪府立図書館の Web腹写サービスで入手しました。
https://p-opac.library.pref.osaka.jp/OSPLIB/webopac/fukusya/fukusya_info.jsp
今、コピーを取り出して再読してみたのですが、頭が痛い・・・というか秦先生の説明が理解できません。
- 『平時には、軍人もこの種の遊廓を一般人に混じって利用するのが原則で、軍民共用と呼ぶことにする』(pp.31-32)
- 『たとえば満州では満州事変勃発(1931年)の・・・その前から漢民族を主体とする約3000万人の人口に見合う遊廓が散在していた』(p.32)
- 『1941年夏の「関特演」にさいし、国境地区に配備された一部の部隊のために軍専用慰安所が開設された。しかし、あくまで例外的であったと思われる。』(p.32)
- 『私自身も93年段階では6~9万、7~8割は朝鮮人女性と推定していた・・・が、その後1*1の視点を入れ、数通りの試算を経て総数は思ったより少ないらしいとの結論に達した』(p.33)
などと書いてあったりします。
『3.民族別では、内地人が最多ーー』の項も、牽強付会だとしか考えられませんが、実物を入手なさってお読みになられたほうが手っ取り早いと思います。一例だけ引用します。
しかし朝鮮では44年まで徴兵制が施行されなかったこともあり、顧客の数は動かなかったので、公娼たちの大規模流出は起きなかったのは当然であろう。
したがって、ブローカーたちは、1939年の大凶作で疲弊した農村から安価で未経験の若い女性をリクルートして戦地、それも第一線に近い辺地の慰安所へ送り込んだと考えられる。下級兵士たちの戦記に、この種の若い朝鮮人慰安婦がしばしば登場するのは、こうした市場原理の結果であり、ひいては彼女たちが慰安婦の主力を占めたとするイメージを作り上げたのではあるまいか。
(p.36 強調は引用者)
また別の項ではこのような記述もあります。
廃業の自由や外出の自由が制限されていたことを強調する人もいるが、従軍看護婦も一般兵士も同じように制限されていた。この点は現在のサラリーマンも変わらない。
総合的に見て、彼女たちの平均的な生活条件は平時の娼婦とほぼ同じで、兵士たちと比較しても「兵士も女も、どちらもかわいそうだったというより外はない」(伊藤桂一)というところか。
(p.38 強調は引用者)
レイプなどの個人的犯罪はあったが、彼らの多くは日本軍の軍法会議か戦後のBC級裁判で処罰されている。<強制連行>しなくても、平時の公娼制と同じように「募集」で集まったからでもある。
(p.39)
あげく、『戦争にレイプはつきものだが・・・』(p.41)なんて平然と書かれては、反論しようとする気さえ失せます。正直言って、妄言にはつきあってられません。こんな文章がアジア女性基金の論文集に掲載されなくてよかったとつくづく思います。
*1:上記の内容
- └
5Re:論戦お疲れ様です
Stiffmuscle
2007/10/14 16:33:24
>『現代コリア』1999年1・2月合併号に『「慰安婦伝説」--その数量的観察』というタイトルで >掲載されています。 『現代コリア』掲載の秦論文ですが、わたしはこれを大阪府立図書館の We ...
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