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69ni0615ni0615   29  公文書焼却は閣議決定

731部隊細菌戦国家賠償請求訴訟 第ニ審

[控訴人側] 第七準備書面

2002年(ネ)第4815号謝罪及び損害賠償請求控訴事件

第2部 戦後の不法行為損害賠償責任

第1章 被控訴人国による細菌戦の隠蔽及び行政不作為、立法不作為の事実

第2 被控訴人国による敗戦前後の証拠隠滅

より

2 日本軍公式記録の焼却、隠匿

 1945年8月10日、ポツダム宣言受諾が決定されると、すぐに、内閣閣議決定公文書の焼却が決定された。それはポツダム宣言にあった「あらゆる戦争犯罪の処罰」という一節に対する被控訴人国の対応であった。敗戦に際して日本国家がおこなった第1の行為は、証拠の隠滅だったのである。とりわけ軍関係の証拠隠滅は徹底しておこなわれた。

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公文書の焼却は、閣議決定の上、組織的に徹底的に行われた。

鈴木貫太郎内閣の蔵相であった広瀬豊作が、『私もご承知のとおり終戦直後、資料は焼いてしまえという方針に従って焼きました。これはわれわれが閣議で決めたことですから、われわれの共同責任のわけです』と回想しているし、元陸軍法務中将大山文雄が、法務省の調査に対して、『書類の湮滅は政府の命令に基づいてなされた』回答しているのも、このことを裏づけている。この焼却命令は、広瀬と大山の回想が示唆しているように、明らかに戦後に予想される戦犯裁判を強く意識しての措置であった。」(甲294『現代歴史学戦争責任』127頁)

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 次にこの閣議決定に基づいて、各省庁で公文書の焼却が行われた。

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 ポツダム宣言の受諾が決定し、天皇の「玉音放送」のある8月15日、陸軍省では連絡会議が開かれ、そこで阿南惟幾陸軍大臣からの証拠湮滅の指示が出された。

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 後にそのことを明かした田村浩俘虜情報局長の記録が残っている。1946年3月7日、極東国際軍事裁判(いわゆる東京裁判)の国際検察局(IPS)のG・S・ウールワースの尋問に答えて、田村局長は、  「連合国側に見せてつごうの悪いような軍の文書は全て焼却せよ」(甲 106の1、38頁)という命令を副官から口答で伝えられ、その命令に従ったと述べている。

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 ポツダム宣言受諾の閣議決定が行われた頃、陸軍中央官庁の位置する市ケ谷台上においては機密書類の焼却が開始されていた。終戦の聖断直後、参謀本部総務課長及び陸軍省高級副官から全陸軍部隊に対し、機密書類焼却の依命通牒が発せられ、市ケ谷台上における焚書の黒煙は8月14日午後から16日まで続いた(甲294『現代歴史学戦争責任』128頁)。

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 上記のような公文書の徹底した焼却により、戦犯裁判を統轄する立場にあったGHQも、めぼしい公文書が存在しないという状況に苦慮したようで、再三にわたって公文書の提供を日本政府に要求した。

「46年1月3日付覚書では、他の場所に移動させた公文書の原保管場所への復帰、公文書を焼却した場合の写しの作成を命じ、続いて7月24日付指令では、『昭和16年6月1日から同年12月8日までの間に開催されたすべての閣議、連絡会議及び御前会議の議事録の確証された写しを一通』提出するよう命令があった。さらに、10月3日付指令では、『1941年7月1日以降同年12月31日に至るまでの期間における閣議決定事項全部に関する報告書をGHQ国際検事局(IPS)に提出するやう』命令があり、『右報告書提出不可能の場合はその理由を附してその旨報告し、また関係書類がすでに焼棄済の場合は焼棄の日付及び焼棄を命じた責任者の氏名を報告しなければならぬ』と釘をさしている。」(同135頁)

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証拠隠滅は、電話による口頭連絡、あるいは電報等により秘匿して行われた。

「47年1月9日の東京裁判の法廷に提出された第一復員局文書課長・美山要蔵の『証明書』(法廷証2000番)にも、「本官は茲に昭和20年8月14日陸軍大臣の命令に依り高級副官の名を以て全陸軍部隊に対し『各部隊の保有する機密書類は速やかに焼却』すべき旨を指令されたことを証明する。右は在京部隊に対しては電話に依り其の他に対しては電報を以て伝達された此の電報及原稿は共に焼却された」とあり、電話による口頭連絡、あるいは電報等の焼却といった湮滅工作が碓認できる。」(同136頁)

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また、公文書の最重要書類については、焼却指示にもかかわらず、所轄の軍将校が、隠匿し、GHQの追求から逃れた。

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 天皇陸軍に対する最高統帥命令である『大陸命』およびこれに基づいて参謀総長が発する指示である『大陸指』に関しても同様の隠匿が行われた。これについて、現在、防衛庁防衛研究所戦史部が保管している『大陸命』、『大陸指』の原本に付せられた『経歴票』には、次のように記されている。

昭和20年8月14日大東亜戦争終戦に方り陸軍一般に保管書類焼却 の指令が出されたが、第二課〔参謀本部作戦課〕においては本大陸命(指)綴のみは焼却せず、庶務将校椎名典義中尉が都内某所に隠匿し、第一復員省(局)史実調査部(資料整理部)編成に伴い、占領米軍の公私に亘る一般資料追及の監視を避けて部長宮崎周一中将が自宅に保管した。

〔中略〕

 昭和21年12月宮崎中将退職に伴い後任部長服部卓四郎大佐が保管を継承し、同大佐は占領時代終了を待って正統戦争史の本格的編纂にあたるためこれを自宅に保管した。同大佐の『大東亜戦争全史』の著述にあたりてはこれが利用された。

 ここでも、『大陸指、大陸命』綴が戦史室に移管されたのは1960年のことだった。」(同132頁)

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返信2007/06/23 06:29:02
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