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kmiura
asahi.com 軍の焼却命令メモ発見 徴兵日誌にはさまれ 鳥取
2007年07月06日08時41分
敗戦の際、旧日本軍が全国の自治体に出した徴兵関係書類の焼却命令を記録したメモが、鳥取市の鳥取県立公文書館で確認された。燃やされなかった同県日野郡二部村(にぶそん)(現・西伯郡伯耆(ほうき)町)の「兵事動員ニ関スル日誌」の1945(昭和20)年8月15日の項にはさまっていた。研究者によると、軍の焼却命令を伝える文書が残っているのは極めて珍しく、軍部による指示の具体的内容を知る貴重な資料という。
メモは、はがき大の紙にインクの手書きで、「連隊区司令部ヨリノ通知」として、「現在入営並(ならび)ニ応召者ノ名簿丈(だ)ケヲ残シ其他(そのた)ノ兵事関係書類ヲ全部至急焼去スル事」などと書かれていた。末尾に赤字で「二部駐在所 津島巡査」とあり、当時、村の駐在所に勤務していた津島亀吉巡査(故人)が軍部からの命令を書き取り、村役場に渡したものとみられる。
敗戦によって不要になった召集令状の回収・焼却なども指示されており、その内容は日誌にも転記されていた。日誌の翌16日午前の項には、「関係一切ノ焼去ヲ実施ス」との記述があり、命令通り焼却が行われたとみられる。
防衛省防衛研究所戦史部の柴田武彦・主任研究官によると、敗戦時の軍内部の焼却命令は、痕跡を残さないよう、ひそかに出され、命令を伝える文書自体が焼却の対象だったという。軍から自治体に対する命令も同様の扱いだったとみられる。
メモがはさまっていた日誌は、37年7月22日から45年11月24日まで、村民の出征先や戦死場所など、召集にかかわる出来事を564丁(丁は表裏2面のとじこみ)にわたって記録している。柴田氏は「村は日誌を残すべき名簿類に含むと判断したのではないか」と推測。その日誌にはさまっていたことで、メモが偶然、残ったとみる。
二部村の人口は当時、2千数百人。約400人が出征し、48人が戦死した。日誌には、37年10、11月、記録上、最初の戦死者2人が出た時、知事が弔問に訪れ、約800人が参列する村葬が行われたことや、敗戦直前の45年6月13日、「未(いま)ダ兵籍編入ノ年令ニ至ラザル者」に令状が届くなど、動員システムに混乱があったことなどが書かれている。
焼却命令のメモだけでなく、当時の召集の実態を記録した資料の発見もまれで、県立公文書館の伊藤康・総括専門員は「召集令状が役場に届いてから本人に通知されるまでの過程が分刻みで書かれるなど、村が戦争に巻き込まれていく様子が目に浮かぶようだ」と話している。
旧二部村は合併により、溝口町を経て05年から伯耆町となった。溝口町当時の00年10月の鳥取県西部地震で役場の庁舎が被害を受け、過去の公文書の散逸を懸念した片山善博知事(当時)が公文書館での保管を指示。資料を整理中、偶然メモが見つかったという。
http://www.asahi.com/national/update/0706/OSK200707050134.html
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kmiura
2007/07/06 11:08:35
軍の焼却命令メモ発見 徴兵日誌にはさまれ 鳥取 2007年07月06日08時41分 敗戦の際、旧日本軍が全国の自治体に出した徴兵関係書類の焼却命令を記録したメモが、鳥取市の鳥取県立 ...
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