1:
noharra
慰安婦問題を巡る日韓間のやりとりの経緯、など
この間、河野談話作成過程等に関する検討チームという委員会が作られ、「慰安婦問題に関して、河野談話作成過程における韓国とのやりとりを中心に、その後の後続措置であるアジア女性基金までの一連の過程について、実態の把握」が行われた。で、平成26年6月20日に
「慰安婦問題を巡る日韓間のやりとりの経緯 ~河野談話作成からアジア女性基金まで~ 」
という報告書が出された。
河野談話作成からアジア女性基金まで、というのは日本政府やその周辺がやったことである。河野談話を覆すならともかく、そうでないなら、自分がやったことの何を疑い何のための再検証するのか、まったくわけが分からない。
2:
noharra
1
日本の歴史挑発…河野談話、「殻」だけ残る
中央日報日本語版の受け取り方を、引用しておきます。
2014年06月21日13時36分
安倍内閣が、日本軍の慰安婦強制動員を認めて謝罪した1993年8月の河野談話を無力化する内容の報告書を昨日公開した。内閣に設置された「河野談話作成過程等に関する検討チーム」は国会に出した報告書で、河野談話の核心である慰安婦動員の強制性の粗探しをし、談話を韓日間の外交的妥協の産物として格下げした。全体21ページの報告書の題名からして「慰安婦問題を巡る日韓間のやりとりの経緯」だった。1990年代初めに慰安婦問題が提起されて以来、韓日間の水面下議論と外相会談の内容、両国首脳の反応まで詳細に紹介し、慰安婦問題を過去の問題ではなく政治的な問題に変質させようという意図を表した。日本が水面下議論の内容を一方的な解釈で公開することで、韓日外交当局間の信頼は根幹が揺れることになった。
報告書は、韓日間の慰安婦関連議論は、92年7月に当時の加藤紘一官房長官が「慰安所の設置、募集、運営に日本政府の関与があった」という内容を発表した当時にも行われた、と主張した。そして翌年の河野談話作成が両国間の調整によって行われたという趣旨の内容を盛り込んだ。報告書は、談話の核心である慰安婦の強制連行の部分、すなわち「甘言、強圧による等、総体的に本人の意思に反して募集された」という点については、「一連の調査結果で得た認識は、“強制連行”は確認できなかったというものだ」と釘を刺した。慰安婦被害者に対する日本政府の調査でも16人の証言を聴取したが、この直前にすでに河野談話の日本側の原案が作成された、と主張した。結果的に、河野談話は外交的に折衝したものだと主張しているのだ。
報告書は、河野談話の案文をめぐる韓日間の議論については「調整」という言葉を使いながら詳述した。慰安所設置と慰安婦募集時の日本軍の関与と強制性が争点となり、結局、発表前日まで両国間の交渉によって案文調整が行われたと主張した。報告書は、両国間にこうした調整があったが、韓国側は「(談話)発表直前に日本側からファックスで発表文を受けた」という趣旨でマスコミ対策を述べたという部分まで紹介した。要するに、河野談話は日本政府の自らの調査と判断に基づいて作られたのではない、ということだ。
このため河野談話は“殻”だけが残ることになった。戦争と武力行使の放棄などを含む憲法の平和条項(9条)が解釈の変更で名前だけが残っているのと変わらない。安倍内閣は報告書の発表直後、「河野談話の見直しはしないという日本政府の立場にはいかなる変化もない」と述べた。河野談話を無力化させておきながらこのように述べるのは、手のひらで空を隠すようなものだ。誰がその真正性を信じるだろうか。慰安婦動員の強制性を否定することは、人類の普遍的人権に対する否定であり、もう一つの歴史挑発だ。日本の歴史修正主義の動きは国際社会で孤立と逆風を招くだけだ。
3:
kmiura
1
Re:慰安婦問題を巡る日韓間のやりとりの経緯、など
野原さん、おひさしぶりです。ご紹介どうもありがとうございます。
別添資料に関してはキーワード用の容量が足りないようなので
http://ianhu.g.hatena.ne.jp/kmiura/20140624
に掲載しました。一応お知らせまで。
4:
noharra
高橋源一郎の慰安婦論
今日は、月に一度の朝日新聞論壇時評の日です。今回は「戦争と慰安婦」と題して、いままた論議を呼んでいる「慰安婦問題」について書きました。
C・イーストウッドの映画「父親たちの星条旗」の冒頭には、「ほんとうに戦争を知っているものは、戦争について語ろうとしない」という意味のことばが流れます。深く知っているはずのないことについて大声でしゃべる人間には気をつけたい、とぼくは思ってきました。もちろん、ぼく自身についてもです。
「慰安婦問題」でも、ある人たちは、「慰安婦」は「強制連行」され「性的な奴隷」にされた、と主張し、またある人たちは、「いや、あれは単なる娼婦で、自発的に志願して、かの地にわたり、大儲けしたのだ」と言います。けれど、朴裕河さんのいうように、どちらの場合もあった、というべきでしょう。
そして、その間には無限のグラデーションがあり、「性的な奴隷」に見える中に日々の喜びもあり、また逆に、「自発的な娼婦」に見える中に、耐えられないほどの苦しみもあったはずです。けれど、この問題をめぐる議論は、お互いに「見たいもの」しか見ないことで不毛になっていったように思います。
とりわけ、「戦争を知らない」世代が、紙の「資料」をもとにして、なんでも知っているかのように論じる姿に、ぼくは強い違和を感じてきました。実際に「戦争を知っている」世代は、そんな風な語り方は決してしなかったからです。
戦争中、多くの作家たちだが、兵士として戦場に旅立ちました。そして生き残ったものたちは、帰国して後、戦場で見たものを小説に書き記しました。そこには、「慰安婦」たちの生々しい姿も刻みつけられています。有馬頼義、長谷川四郎、富士正晴、伊藤桂一、田村泰次郎、古山高麗雄、等々。
彼らは見たものを書きました。頻発する強姦、民間人・農民の無差別虐殺、狂気に陥る兵士、自分が何をされるかわからないまま連れて来られた慰安婦たち。けれども、彼らは「わたしは知っている」とは書きませんでした。「わたしが見たのはそれだけだ。他のことはわからない」と書いたのです。
古山高麗雄は、数多くの戦争小説を書き、その中で繰り返し、慰安婦を登場させました。けれど、彼は、戦場では慰安所に行こうとはしませんでした。「慰安婦は、殺人の褒賞であること」を知っていたからです。戦後しばらくたって「慰安婦問題」が大きく取り上げられるようになって、彼はこう書きました。
「彼女は…生きているとしたら…どんなことを考えているのだろうか。彼女たちの被害を償えと叫ぶ正義の団体に対しては、どのように思っているのだろうか。そんな、わかりようもないことを、ときに、ふと想像してみる。そして、そのたびに、とてもとても想像の及ばぬことだと、思うのである」
誰よりも、彼女たちの心に近かった古山でさえ、「想像の及ばぬことだ」というのだとしたら、遥か遠く、「戦争を知らない」ぼくたちは、もっと謙虚になるべきなのかもしれません。そんなことを書いてみました。ご笑覧くだされば幸いです。
https://twitter.com/takagengen/status/504773651908919296
彼の主張の主意が、「見たこともないのに慰安婦は売春婦だったと言い募る」人々に向けられていることは明らかです。
しかし、その述べ方として「どっちもどっち論」に傾斜しているような言い方をしているので、あんまりだと、思いました。
21年前の河野談話以来の「なかった派」の言説は、およそ理屈にならないものをむりやりこねあげているだけのものであり論理的にまともに格闘できるような水準の議論にはなっていません。
それをふまえずに「お互いに「見たいもの」しか見ない」と言ってしまうのは、悪しき中立主義であると思います。
ところで、有馬頼義、長谷川四郎、富士正晴、伊藤桂一、田村泰次郎、古山高麗雄、等々が記した慰安婦像をもっと読むべきだ、とする提言はおっしゃるとおりだと思う。
(また戦争中戦争嫌悪者だった古山高麗雄がなぜ晩年、教科書作る会に名を連ねるに至ったか、かれをそうさせてしまった戦後左翼の不十分性はどこにあったのか?も問われるべき。)
さて、論点として問題になるのは、
「自発的に志願して、それなりの儲けがあった娼婦」といえる人もあるいは「廃業の自由があった」といえる人も沢山いたのか?という点ですね。
皆無ではなかった、とは言わざるをえないように思います。
ただ戦争末期の南島などの前線の場合とそれより前の時代の例えば上海のような大都会の場合には、処遇において、極端な違いがあった。後者の場合を「強制性のない・自発的契約」と捉えてもいいものかどうか?
この論点が大事なら、「従軍慰安婦と公娼制度 従軍慰安婦問題再論」などの倉橋正直氏の本とか読んでみる方が良いかもしれない。
慰安婦と文学という論点については、井上俊夫詩集 『従軍慰安婦だったあなたへ』 全編
http://inouetoshio.com/ssmokuji.htm
を参照すべきでしょう。有馬頼義以下が〈帰ってきたインテリによる一方的回想〉であるのに対し、老醜の元慰安婦が日本にはるばるやって来てそこで〈会う〉話を井上俊夫は書いている。
まして私たちが戦場で出逢った、若く美しくやさしかった従軍慰安婦の思い出は、日に日に甘美な夢となって、私たちの胸の片隅でひっそりと生き続けていた。
ところが、元・従軍慰安婦の突然の出現と告発は、私たち元・日本軍兵士が長年抱き続けてきた、そのような一方的で身勝手な夢を完膚無きまでに打ち砕いてしまったのだ。
5:
noharra
4
Re:高橋源一郎の慰安婦論
(論壇時評)戦争と慰安婦 想像する、遠く及ばなくとも 作家・高橋源一郎
の原文はこちらですね。
http://digital.asahi.com/articles/DA3S11320312.html
戦後、「慰安婦問題」が大きく取り上げられるようになって、古山は「セミの追憶」という短編を書いた〈7〉。「正義の告発」を始めた慰安婦たちの報道を前に、その「正しさ」を認めながら、古山は戸惑いを隠せない。それは、ほんとうに「彼女たち自身のことば」だったのだろうか。そして、かつて、戦場で出会った、慰安婦の顔を思い浮かべる。
「彼女は……生きているとしたら……どんなことを考えているのだろうか。彼女たちの被害を償えと叫ぶ正義の団体に対しては、どのように思っているのだろうか。そんな、わかりようもないことを、ときに、ふと想像してみる。そして、そのたびに、とてもとても想像の及ばぬことだと、思うのである」
「正義の告発」への戸惑いの根拠は、元慰安婦たちへの絶対的思慕である。平穏な日常から切り離され硝煙と血と泥だけの戦地に放り込まれ絶望している兵士たちに、宗教的ともいえる許し・慰安を与えてくれたのは、元慰安婦以外にいなかった。そうした彼女たちは暗い戦争期の唯一の救いとして、あくまで一方的にだが、元兵士の心中で輝きを失うことはなかった。それが告発によって裏切られる。
ああ、五十年のその昔、日中戦争のさなかに、私が武昌や南京の青楼で見かけたあなた方は、不遜なまでに若かった。三日月型の黛はどこまでも青く、しどけなく開いた胸からは、眩しくももの悲しい曲線がこぼれおち、後れ毛をかきあげる華奢な指先には、切ないノスタルジアの蝶々が舞っていた。
(略)
私たち兵士は命がけの作戦を終えて、辛くも後方基地にたどり着けた時、小銃や弾丸や手榴弾、その他数々の重い装具もなにもかもかなぐり捨て、貰ったばかりの軍票と外出許可証を握りしめて、あなた方がたむろする館にまっしぐらに駆けつけ、あなた方の白い胸に顔を埋めるのだった。
つい昨日まで、果てしなく続く曠野を、凶暴な意志に貫かれた一団となって突き進み、田畑を無造作に踏みにじり、村落に乗り込み、村落を通過しては、米や野菜や鶏や酒をかすめとってきた手で、逃げまどう敵の隊列を機関銃で掃射してきた手で、目前の敵兵を銃剣で突き殺してきた手で、敵弾に斃れた戦友の屍を野末に葬ってきた手で、私たちはがむしゃらに、あなた方を抱きしめた。
たとえ限られた短い時間にせよ、あなた方の側近くにいて、あなた方の髪の匂いを嗅ぎ、あなた方の胸の上に手をおき、あなた方の顔をみつめ、あなた方の囁きを聞き、あなた方の小耳をいじくり、あなた方の唇を盗んでいる時だけ、私たち兵士は幸せだった。
もしもあなた方が戦場にいなかったら、私たち兵士はいったいなにを望みに生きていけただろう。青春の夢も望みも、人間性すら奪われた軍隊生活の中では、あなた方に逢えることが、私たちのただ一つの生き甲斐だった。ただ一つの愉楽だったのだ。
絶対的思慕に基づく元慰安婦の告発発言への違和は口にされることはなかった。なぜなら彼女たちの悲惨な境遇を私はよく知っている。だから理屈では彼女たちが言っているのが正しいことはよく分かる。にもかかわらず彼女の言い分を認めてしまえば、自分の戦後50年間の苦闘はどうなるか。
遅かれ早かれ戦争から帰ってきて戦後のたちまち回復した市民社会のなかで辛うじてではあれ居場所を見つけた自分に対して、反戦時に異国で放り出されたまま市民社会にかえってくることができなかった彼女たち。彼女たちの出自は市民社会ではなく封建的農村であり、封建的儒教倫理からもナショナリズムからも彼女たちは帰るべき場所を持っていなかった。
したがって、古山が「とてもとても想像の及ばぬことだ」と書いたのは当然である。
「わたしは目を閉じ、静かに、遥(はる)か遠く、ことばを持てなかった人々の内奥のことばを想像してみたいと思うのである。」というのも間違ってはいない。
しかし、「性急に結論を出す前に」はどうなんだろうか。元慰安婦の証言を疑うという膨大な「なかった派」言説は、古山のような体験者とは全く別のところから発されたものだ。歴史的手段であれ、小説を経由してであれ戦争の実質をある程度知れば、「なかった派」言説がありえない、という結論を出すのは難しくないと思う。
反なかった派的結論を端的に書いても、それが読者に届くことはないと高橋氏は判断しているのであろう。まあそういうこともあるのかもしれないが。
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7:
noharra
「世間一般は」話法の犯罪
慰安婦問題「核心変わらず」…朝日が記事掲載/識者から批判の声
2014年08月28日 16時05分
朝日新聞は28日朝刊で、いわゆる従軍慰安婦を巡り「朝鮮人女性を強制連行した」とした吉田清治氏(故人)の証言を報じた記事を32年後に虚偽と判断して取り消したことに関し、「慰安婦問題 核心は変わらず」との記事を掲載した。
記事では、取り消しを受け「慰安婦問題で謝罪と反省を表明した河野洋平官房長官談話(河野談話)の根拠が揺らぐかのような指摘も出ている」との懸念を示した。その上で、菅官房長官の記者会見や政府関係者の発言を引用し「(河野談話は)吉田氏の証言を考慮していなかった」と記し、談話の見直しは必要ないとの認識を示した。
河野談話は、韓国との政治決着を目指して作られたもので事実究明は目的でなく、吉田証言を考慮しなかったことは識者らの間ではすでに知られている。談話では、官憲による組織的な強制連行を裏付ける証拠資料がなかった。にもかかわらず、談話発表時の記者会見で、当時の河野官房長官が口頭で強制連行を認めるような発言をしたことなどが問題視されている。
世間の疑問に答えず
元朝日新聞ソウル特派員でジャーナリストの前川恵司氏の話「『吉田証言』と河野談話は別だという朝日の指摘は正しい。しかし、世間一般は、政府が河野談話を出さざるを得ない状況をつくった朝日報道に、責任の一端があると受け止めている。朝日はこうした世間の疑問には何ら答えていない」
拓殖大の藤岡信勝客員教授(教育学)の話「『吉田証言』がすべての始まりだった。朝日がいかに大量の誤った『慰安婦』報道をしてきたかは、28日の読売新聞朝刊が詳細に検証した通りだ。朝日が、河野談話は吉田証言に依拠しないと主張するのは論点のすり替えだ。日本政府に国家賠償を求めた国連のクマラスワミ報告は吉田証言を引用しており、世界への影響は計り知れない」
http://www.yomiuri.co.jp/feature/ianfu/20140828-OYT8T50152.html?from=tw
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