日常生活では、どんな店屋の主人でもしごくあたりまえに、ある人が自分がこうだと称する人柄と、その人が実際にどういう人であるのかということを区別することぐらいはできるのに、わが歴史記述ときては、まだこんなありふれた認識にさえも達していないのである。それは、あらゆる時代を、その時代が自分自身について語り、思い描いた言葉どおりに信じ込んでいるのである。 『ドイツ・イデオロギー』
070601
■ [clip][documents][keywords] 慰安婦の徴集 キーワード化予定

http://d.hatena.ne.jp/yamaki622/20070519/p1
慰安婦の集め方には、二通りあった。第一は、派遣軍が占領地で慰安婦にする女性を自分で集める方法である。第二は、日本・朝鮮・台湾での徴集である。(中略)これには、ふたつのやり方があった。ひとつは、戦地に派遣された軍が、自分で選定した担当者または業者を日本・朝鮮・台湾に送り込み、慰安婦を集めるやり方である。(中略)もうひとつは、派遣軍からの要請を受けて、日本の内地部隊や台湾軍・朝鮮軍が業者を選定し、その業者が慰安婦を集めるやりかたである。
(中略)
何より、どちらの場合も、慰安婦を集める場合は、業者は軍または在外公館(領事館)が発行する許可証、または警察の正規の証明書を必ずもっていなければならなかったのである。軍慰安所設置および慰安婦徴集には、日本軍はもちろん、国家ぐるみで関わっていたことは明らかであった。
(吉見義明『従軍慰安婦』41頁)
1の例
宮谷重雄の証言(クリップ済み、キーワード化予定)
http://ianhu.g.hatena.ne.jp/kmiura/20070520/1179748811
2の例
「南支派遣塩田兵団」林部隊長が、慰安所経営者の渡航のために発給した証明書の文面です。
証明書
■■■■
当年二十二歳
右ハ当隊附属慰安所経営者ニシテ 今回 慰安婦連行ノタメ帰台セシモノナリ
就テハ 慰安婦ハ当隊ノタメ是非必要ナルモノニ付 之カ渡航ニ関シテ何分ノ便宜附与方取計相成度
右証明ス
昭和十五年六月二十七日
南支派遣塩田兵団林部隊長 林義秀
(吉見義明『従軍慰安婦資料集』16)
(右は当隊附属慰安所経営者であり、今回、慰安婦連行のため台湾に戻る者である。就いては慰安婦は当隊のため是非必要なものであるので、この者の渡航に関して何分便宜を附与するよう取り計らっていただきたい)
※カッコ内、山木による現代語訳。
関連:
Yahoo知恵袋:http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1211754567
goo教えて:http://oshiete1.goo.ne.jp/qa3045617.html
ご要望ふたつ、やります。
細かい勝ち負けについてよりも、いろいろな事実がネット上に出てくるというのが長い目では重要かなと思っています。議論そのものに関しては論点がずれていくのが面倒ですが時間をかければ、軸のまわりを大きく議論をつづけていくうちにいろいろなボトムラインがみえてくるだろうな、と思っています。それにしてもクリスマス島。わはは。
http://ianhu.g.hatena.ne.jp/kmiura/20070521/1180693603
2つ目。
教えて関連の方にも参照リンクをいろいろ記載しました。
このグループで私は、従軍慰安婦に関連する資料をキーワード化して、リストする、ということをしています。山木さんは特にさまざまな資料をウェブに挙げられるので、とてもありがたく思っています。
上記の件、こちらもタイトルを変更します。
なお、よろしかったら掲示板の方の議論にもご参加ください。
http://ianhu.g.hatena.ne.jp/
の上の方にあるスレッドのリストからアクセスできます。掲示板では右上の”ツリー表示”をクリックして表示を変えると話の流れを追いやすくなります。
今後ともよろしくお願いします。
kmiura
アジア歴史資料センタ http://www.jacar.go.jp/ で検索すると軍属の用例が色々でてきます. 旧日本軍の指揮命令系統の下にあって 軍人でない者の総称 といったところでしょうか.