日常生活では、どんな店屋の主人でもしごくあたりまえに、ある人が自分がこうだと称する人柄と、その人が実際にどういう人であるのかということを区別することぐらいはできるのに、わが歴史記述ときては、まだこんなありふれた認識にさえも達していないのである。それは、あらゆる時代を、その時代が自分自身について語り、思い描いた言葉どおりに信じ込んでいるのである。 『ドイツ・イデオロギー』
070614
■ [memo] ケーススタディ

池田信夫さんのところの歴史を偽造して開き直る朝日新聞のコメント欄などの分析。
異議申し立ての意義
http://d.hatena.ne.jp/yamatedolphin/20070417
異議申し立ての意義②
http://d.hatena.ne.jp/yamatedolphin/20070419
責任に関して
http://d.hatena.ne.jp/yamatedolphin/20070425
抜粋
ここでその実質性を考慮した私見を言わせてもらえば、軍による組織的な強制がなかった、と判断するにはまだ足りない、と思う。
まず第一に、Apemanさんのご教示などからより詳しく知ったのだが、日本軍の性欲処理施設への関与度は、他国に比べ非常に高いという事。設置を決めた母体が日本軍であること、輸送、労働条件の策定、監視など様々なサポートを組織的に行っていたことなどである。であればこそ、そこにおける逸脱行為についても組織的に対応すべきであったと思われるのである。
たとえば違法な強制があったとして、それを知っていながら厳格な対処もしないという事であれば、組織として違法な行為を追認したのだから、組織的な強制と言われてもしかたがないのではないか。(また、違法な強制を上層部が知らなくても、当然知りうるべき状況にあって知らなかったという事になれば、過失としてやはり組織的であったというそしりは逃れられない気がする。)
またこれは犯罪性を問うのは難しいかもしれないが、そのような違法な強制が一部の特殊な事例として片付けられないほど生じていたり(実際生じている気がするが)、あるいは一部の特殊な例しか生じていなくとも違法な強制が生じる事が予見できそれを防げるような組織構造にしていなかった場合などにも、組織的であったかどうかという事は問われるのではないか。
それを言えば切りがないのかもしれないが、日本軍などは侵略地域によっては異常な物資不足であり、現地調達という名の民間施設からの略奪行為など常態化していたのであるから、そのような略奪を是とするような組織であった事じたいも問われるべきではないか?つまり南方で生じていた一部の慰安婦への強制行為は、きわめて特殊な例ではなく、日本軍の組織体質から生じておかしくない事例だったのではないか。現地の民間人の生活の軽視というのが一般化していたのではないか。
(念のため、こういう日本軍の特質が日本人の民族的特質(などというものがあるとして)とは、まず関係なかろうという事は言っておかねばならないだろう。また、このような日本軍のありかたを批判するのは、決して日本軍(および日本)だけを責めるものでもない事も。)
またこれらの組織性に関する責任が、どのレベルまで問われるべきか、というのも文書云々よりも、実質的な部分(他の命令の系統やその実施状況等の整合性など)によって、それぞれ判断していくしかないだろう。
地図がありますよ。照合は必要ですが。
http://space.geocities.jp/japanwarres/
↓
http://space.geocities.jp/japanwarres/center/hodo/hodo38.pdf
17ページ
クレジットは、
2007年4月17日、日本の戦争責任資料センターが行った外国特派員協会での記者会見、配布英文資料17ページより
http://www22.atwiki.jp/doc_exam2007?cmd=upload&act=open&pageid=1&file=where+comfort-station+were.jpg