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日常生活では、どんな店屋の主人でもしごくあたりまえに、ある人が自分がこうだと称する人柄と、その人が実際にどういう人であるのかということを区別することぐらいはできるのに、わが歴史記述ときては、まだこんなありふれた認識にさえも達していないのである。それは、あらゆる時代を、その時代が自分自身について語り、思い描いた言葉どおりに信じ込んでいるのである。    『ドイツ・イデオロギー』

私家版・従軍慰安婦問題のリンク集(2008・8)

070624

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朴裕河(パク・ユハ)『和解のために』

http://d.hatena.ne.jp/gordias/20070623/1182610967

リンク先に引用された次の部分にはいろいろなことを考えさせられる。

周知のように、「慰安婦問題」は、「民族」の問題であるばかりか本質においては「性」の問題であり、「階級」の問題である。現在の日本人が「日本」人の思想であるがゆえに彼女たちの「不幸」に対して「責任」があるとするなら、当時貧しい彼女たちを「慰安婦」に送り出し、学校や結婚に逃避した結果、貞淑な女性として残ることができた有産階級の子孫であり、朝鮮人募集策に関わった者たちの子孫であり、彼女たちを蹂躙した朝鮮人男性の子孫である韓国人にも、責任がなかろうはずはない。

 韓国のなかの責任を問うことは、日本の責任を薄めることにはならない。むしろもっとも大きな責任を負うべき、「発案」し「命令」した者の責任をいっそう明確にするためにも、「遂行」した者に対する責任は問われねばならないのである。(91-92頁)

「あの時代には人身売買なぞ世界中で行われていた」というような、貧困なる逃げ口上をここに対置できるはずがない。エポックメイキング、というような事件が歴史の中で起きると、それ以前と以後ではそこを生きる人間にとって世界の意味は代わってくる。例えばアウシュビッツ以前と以後、911以前と以後。歴史を断片化し、そこに生きた人間の人生を断片化する作為は、歴史から逃れることのできない今の人間の逃避と隠蔽なのだと思う。あるいはそれはこのページのヘッダーにもあるように

それは、あらゆる時代を、その時代が自分自身について語り、思い描いた言葉どおりに信じ込んでいるのである。

当時の軍部政府が必死になって糊塗し、書類を燃してまで隠蔽しようとしたなにかを今を生きる我々は素直に看過することはできない。なぜ糊塗しようとしたのか。国家と性という社会性の両極にある人間の関係性がその塗り固められた壁の下にはあるはずだ。

関連するトピックとして今思い出したのは次の私の記事いくつか。接続するようなことを今はかけないけれど伏流はある。

「お国のために命を投げ出しても構わない日本人を生み出す」ってのもそういえばニシムラシンゴだった。

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