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日常生活では、どんな店屋の主人でもしごくあたりまえに、ある人が自分がこうだと称する人柄と、その人が実際にどういう人であるのかということを区別することぐらいはできるのに、わが歴史記述ときては、まだこんなありふれた認識にさえも達していないのである。それは、あらゆる時代を、その時代が自分自身について語り、思い描いた言葉どおりに信じ込んでいるのである。    『ドイツ・イデオロギー』

私家版・従軍慰安婦問題のリンク集(2008・8)

071130

[][][] 20:32 はてなブックマーク -   - kmiura   - kmiura のブックマークコメント

WWII mass rape victims now ill

By Tonette Orejas

Central Luzon Desk

Last updated 09:42pm (Mla time) 11/19/2007

http://newsinfo.inquirer.net/inquirerheadlines/regions/view_article.php?article_id=101908

→翻訳

日本軍による集団レイプ犠牲者たちの訴訟 @ACCE実験農場

http://blogs.yahoo.co.jp/accefarm2003/8902121.html

第二次世界大戦集団レイプ被害者は今

インクワイアラー11月20日 トネット・オレハス記者

パンパンガ州カンダバ発

 

ラシャ、タルシン、ルシン、サリョン、トレン、メレン、エスター、ヘニン、キカ、マリア、パトリン、アナ.......

 イサベリン・ヴィヌヤは、仲間たちの名前を数え上げようとして、30人で止まってしまった。

「みんな寝込んでしまっている。」ヴィヌヤさん、73歳、は日本兵による集団レイプ

事件の生き残っている被害者のことについて語った。

 2000年12月8日から12日に東京で行なわれた国際戦争犯罪法廷に提出された資料によると、この事件を起こしたのは、山下トモユキ司令官の率いる第14師団のゲキ中隊の兵士たちだった、という。

この虐待は、1944年11月23日の日本軍によるマパニケへの攻撃に伴って起きている。このマパニケは、抗日ゲリラのフクボン(兵士)・バヤン(民衆)・ラバン(戦い)・サ(への)・ハポン(日本)-略してフクバラハップーの拠点の一つであった。

 公式命令A-46に含まれていなかったものとして行われたのは、村中の男性、少年たち全員を殺害し、墓地に投げ込み、、火をつけて焼いたことであった。これは、家族の妻や子ども、親たちの目の前で行われた。

 その後、日本兵たちは、女性や少女たちをブラカン州サンイデルフォンソにある臨時の兵営の建物(通称「赤い家」)に連れて行った。ここは、マパニケから南に1キロ以上離れている。 

1996年8月に初めて、この第二次世界大戦中の残虐なできごとについて沈黙を破って公にした被害者たち96人は、彼らの受けた虐待の事実を歌にしている。

 被害者のうち、34人がすでに亡くなり、30人が病床にあり、活動に参加できるのは32人になっている、とビヌヤさんは語っている。

 病気の中で多いのは、糖尿病、結核、喘息、関節炎などで、寄付や援助があるとき以外ほとんどが治療を受けられないままいる。

 チス子と呼ばれる日本の学生が8月に、韓国に従軍慰安婦の調査に出かける前に、ハリ治療士を連れてきている。

 生涯独身のタルシア・サンパンやアナ・アロンソは、親族や、まだ健康なメンバーたちの介護を受けている。

 農業によって生計を立てようとしているメンバーの一人は、せっかく育った稲が、11月16日に起こった鉄砲水により、被害を受けた、と嘆いている。1ヘクタールあたり6袋の稲モミが必要で、1袋が800ペソなので、1ヘクタールあたり4,800ペソが洪水に流されてしまった、という。

 11月17日、州知事のエディ・パンリリオが社会福祉職員を派遣し、マラヤ・ロラたちの問題について調査を行っている。そして12月には、医療診断と食料支給が計画されている。また、健康保険の更新も計画されている。

 写真説明

 1944年11月23日に起こった日本兵によるパンパンガ州マパニケにおける、村の男性や少年100名以上の虐殺と焼き尽くし、そして女性たちへの集団レイプの歴史的事実についての、この墓地は無言の証人となっている。この墓地に、2004年遺骨が移された。

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