日常生活では、どんな店屋の主人でもしごくあたりまえに、ある人が自分がこうだと称する人柄と、その人が実際にどういう人であるのかということを区別することぐらいはできるのに、わが歴史記述ときては、まだこんなありふれた認識にさえも達していないのである。それは、あらゆる時代を、その時代が自分自身について語り、思い描いた言葉どおりに信じ込んでいるのである。 『ドイツ・イデオロギー』
071226
■ [keywords] EU決議、翻訳のアップデート予告

ヘブライ語学者の村岡崇光さんから、EUの決議の翻訳に関するアドバイスをいただきました。村岡さんの経歴はこちら(リンク)にありますが、言語学の専門家でいらっしゃる方なのでとてもありがたいです。最初に連絡があったのは12月15日とのことですが、昨日メールを受け取りました。当方年末で移動しており、ゴタゴタしているので、すぐにとは行きませんががんばって翻訳を改良していきたいと思っています。
チェックしていただいた村岡さん、連絡に当たって労をとっていただいた梶村太一郎さん、野原燐さんにひとまずお礼を申し上げます。ありがとうございました。
■ [log][books] 「和解のために」

下の本を買いに行ったのだが
- 作者: 朴裕河,佐藤久
- 出版社/メーカー: 平凡社
- 発売日: 2006/11/21
- メディア: 単行本
- 購入: 4人 クリック: 96回
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売り切れ。書店員の方によれば、平凡社の方にあった在庫も切れて重版中とのこと。残念。id:font-daさんの興味深い書評を読んであー、これは読まなきゃと思っていたのだが(一読おすすめです)、
http://d.hatena.ne.jp/gordias/20070623/1182610967
第7回大佛次郎論壇賞を先日の15日に受賞したので、以降あっというまに売れてしまったのだろう。残念だがまた次回に。
ついでに自分がああ、と思ったfont-daさんの註を引用。
「慰安婦」と加害日本兵が恋愛関係になりえた可能性を抹消することへの批判もされている。これは重要で、慎重に考えるべき問題である。「もとよりそのような兵士がいたからといって、日本軍の加害性が相殺されるわけではない。また自己の体験についての安易な意味づけが、その関係に存在する支配関係を隠蔽することは多々あることである。しかし、たとえ「性暴力の被害者」であったとしても、そのことがただちにそこにあった「関係」を規定しうる決定的な決め手になるわけではない。かりに知識人女性がそのもてる知識で「それは恋愛ではない」としても、そしてそれが決して対等な関係でなかったとしても、当事者達が「恋愛関係」だと考えたのなら、それはやはり恋愛関係だったといえるだろう」(97頁)「慰安婦」だけに限らず、全ての性暴力が孕む問題である。そして朴さんが言うように、たとえ恋愛関係にあったとしても、そこで起きた暴力の被害は軽減しないし、加害者は免罪されないだろう。むしろ恋愛関係にあるからこそ、その関係性を利用した暴力は許されない。
http://d.hatena.ne.jp/gordias/20070623/1182610967#20070623fn3
”恋愛関係だった”という話は、つい最近も伊藤桂一さんの体験談という形で産経新聞が記事にして”気高き慰安婦”などというタイトルをつけている。
バウネット批判するならば
http://macska.org/article/209
あたりを参照に。