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日常生活では、どんな店屋の主人でもしごくあたりまえに、ある人が自分がこうだと称する人柄と、その人が実際にどういう人であるのかということを区別することぐらいはできるのに、わが歴史記述ときては、まだこんなありふれた認識にさえも達していないのである。それは、あらゆる時代を、その時代が自分自身について語り、思い描いた言葉どおりに信じ込んでいるのである。    『ドイツ・イデオロギー』

私家版・従軍慰安婦問題のリンク集(2008・8)

080326

[] キーワード「歴史修正主義」の議論 23:05 はてなブックマーク -  キーワード「歴史修正主義」の議論 - kmiura  キーワード「歴史修正主義」の議論 - kmiura のブックマークコメント

以下を投稿。

id:abeshinzouさんから日記の方に要請があったので、私なりのコメント。歴史修正主義の問題というよりも編集合戦の問題としてあまりまとまりなくかきます。

歴史修正主義を一般的に定義するほど歴史学理論に詳しくないので、オレ流解釈ということなのですが、私にとって歴史修正主義者とは、

 歴史資料を都合のよい部分だけ集めてつぎはぎをし、自らの排外的ナショナリズムを満足させる人々

です。こうした作為を自覚的に行っている人も一部いるようですが、つぎはぎして自分のプライドやアイデンティティを快くくすぐるだけの御伽噺をつくってしまっているという行為をまったく自覚することのできない人もいるようで(理系にいると学生がこれをよくやっているのを繰り返しみます。都合のいいデータだけ”見えてしまう”。ある程度訓練を受けないとデータを平静にみることができない。人間ってそもそもそうできているのでしょう。そしてこうした学生が主張するのはその”客観性”です。)、この場合もはや”主義者”といっていいのかどうか私には自信がありません。なぜならば、これらの人達はそれがイデオロギーであると自ら認識できていない手前、「自分こそが良識、自分こそが中道、自分こそが客観的」と信じて疑わないからです。かくなる認識の元では「歴史修正主義」というカテゴリーそのものを敵視することになる。今回のキーワードに限りませんが編集合戦が自己目的化するのはそのためだと思います。

もうすこし詳しく言うと、修正主義者は「広義」「狭義」という考え方を頻繁にもちいます。定義のレンジをコントロールすれば、たとえばある事象があったかなかったか、を色分けることは自在にコントロールできる。たとえば従軍慰安婦の問題の日本における議論の場合は、強制性の主体(命令主体)がどこにあるかという点をどんどん狭く、あるいは曖昧にすることで、自己責任であったという論を立てます。社会は個人から成立しているのであるから、還元すればすべては自己責任であると要素に後退させる論を立てることは理屈として常に可能なのはあたりまえです。かのごとく国家犯罪を行為者の自由意志に還元してしまう論は、最初に書いたように事象の定義を細かく分類することで成り立っているのですが、今回の歴史修正主義をめぐる議論も同様のフレームワークで進んでいるという点には注目すべきではないか、と思っています。

http://norevisionism.g.hatena.ne.jp/bbs/2/50?fromtreemode=1

広義・狭義をさらに細分化するならばRevisionism Factor(修正主義指数)なるメジャーでも作ったらよいと思う。

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