1:
kmiura
史学における証言の価値・意味
証言はそのものが歴史の証人たるか?というかなり抽象的ですが、これもまた重要で興味深いトピックです。従軍慰安婦の問題の中では、慰安婦経験者自身の言葉が歴史の記述の上でいかなる意味をもつのか、ということになります。このスレッドでは、史学における証言の価値や意味を一般的に議論してください。
スレッドを作ったきっかけは次の応答です。
ゼームス槇さん bbs:10:68
lunakkoさんへ
投稿26が私の投稿22への回答だという事ですが、今までのQ&Aをまったくはずれていますね。今までの経緯ではzames_makiが証言は重要な資料だとしたのに対し、lunakkoさんが補強証拠のない証言は信用できない、と主張した。そこで私zames_makiは
補強証拠とは何ですか?それは世間一般、歴史学、社会学では使わない言葉ないし概念だと思いますよ。補強証拠のない証言は信用できないというあなたの基準は、裁判でもないこうした議論の場で認められる基準ではないと思います。私から見ると現状はあなたが自分1人だけの勝手な規則を理由に、証言を資料に使う事を拒否しているだけです。逆に私からは、吉見義明も実証主義歴史家秦郁彦も証言を資料として使っている(本:慰安婦と戦場の性)という例を提示しておきましょう。
議論を次のステップに進めるため、とりあえず補強証拠とは何で、歴史学ないし社会学でよく使われているという事を示してください。
と書きました。これへの返答はまったくありませんね。従って、「lunakkoさんは私との議論で自分から言い出した補強証拠について、それが何で、こうした議論の場でなぜ必要か説明できなかった」。
つまりlunakkoの、補強証拠のない証言は信用できない、という考え方はこの議論の場では論者が従うべき考え方とは言えないとなります。これに反論がなければ、証言を資料として使うことが認められたとして次のステップに移りたいと思います。
そしてlunakkoさんの返答
法学的な議論では頻繁に使われる用語、概念ですが、歴史学や社会学ではこのような概念や議論法は一般的ではないのですか?
歴史学、社会学において、証言だけで証拠になった例を教えていただけませんか?
「史学は芸術でもなく、哲学でもなく、一個の科学であり、
一切の科学と同様、その第一の掟は正確であることである。」
クーランジュ著 明比達郎訳 「古代フランス土地制度論」 P226 2~3行
1、直接に根本資料を、しかも根本資料のみを、最も細い細部にわたって研究すること。
2、根本資料の中に表現されている事柄のみを信用すること。
3、過去の歴史の中に絶対に近代的観念を持ち込まないこと。
の三箇條であった。一言にして言えば、過去の時代そのものをして過去の時代を
語らしめるというのが、彼の歴史研究上の金科玉條であった。
同上、P227 1~5行
補強証拠のない証言は信用できないというあなたの基準は、裁判でもないこうした議論の場で認められる基準ではないと思います。
あなたの基準で物事を計らないでください。それとも、そもそもこのスレッドに意味がないということですか?
逆に私からは、吉見義明も実証主義歴史家秦郁彦も証言を資料として使っている(本:慰安婦と戦場の性)という例を提示しておきましょう。
資料が証拠であるという意味を教えていただけませんか?
私は「証拠」→「解答」 「資料」→「参考書」 「証言」→「参考書」としか思えませんが。
補強法則
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A3%9C%E5%BC%B7%E6%B3%95%E5%89%87
補強証拠の意味
http://www.law.keio.ac.jp/~yasutomi/keiso_semi/ronten/19.html
kmiura
追伸:個人的にはクーランジュの史学観を提起されるlunakkoさん自身の史学観・歴史観もあわせてうかがいたいところです。
2:
noharra
1
Re:史学における証言の価値・意味
kmiuraさん lunakkoさん はじめみなさん
活発な討論のもりあがり すごいですね!!
さて、lunakkoさんは、「私は「証拠」→「解答」 「資料」→「参考書」 「証言」→「参考書」としか思えませんが。」と言っておられますがよく分からない発言です。
例えば、源義経の時代を考察するための基礎資料としては、『玉葉』(関白太政大臣九条兼実(1149-1207)の日記。1164年から1200年を記録)があります。しかしこれは日記ですから当然彼の問題意識によって切り取られ彼に都合の悪いことは伏せられているものです。その点で証言となんら変わりません。
その時代の実際の体験者の生の声*1を聞くことが、古代史研究者には不可能であるというだけであり、もしそんなことができるなら、誠実な真実の探求者であるだろうクーランジュさんはどんな犠牲を払ってもそれを得たいと思ったはずです。
「証言は証拠(討論の材料)ではない」というのは、歴史(真実)の探求者にはありえない態度ですね。
*1:しかも聞くことが困難な底辺生活者の
3:
olin
2
Re:Re:史学における証言の価値・意味
noharraさん
はじめて投稿させていただきます。
少々疑問に思ったのですが、慰安婦の「証言」と、九条兼実の「記録」を
同列に扱うということは可能なのでしょうか?
問題の性質をいえば、『玉葉』の記述は過去の問題を扱ったものであり、
現代的な性質を持った慰安婦のそれとはまったく違うといっていいと思います。
仮に、両者を歴史学上の問題として同列に扱うにしても、証言がそのまま資料になるわけではありません。
実際の状況から、疑問に思われる点、他の資料との符合が存在しない場合には、当然それを補強する資料が必要になります。
その結果、おそらくはこれが大まかな真実であろうとされたものを一応の学説として、
その後の分析、調査によって真偽を確かめていき、それが覆れば学説も当然変化します
(これは最近日本史で、肖像画の人物が誰なのかでもめていることからもわかると思いますが)。
また、当時の人間の記述だからといってまったくそのままに信用できないことは、
小瀬甫庵の『太閤記』が、最近の研究では資料としての価値が疑われているにも関わらず、
長いこと戦国史の研究で重要視されていたことからもわかります。
例え、当時の人間の記述だからといって、それは普遍的なわけでもありませんし、
当然新しい資料が発見されれば、現代の研究の基礎とされている定説が覆ることもあるでしょう。
さて、慰安婦の問題に関してなのですが、まず最大のポイントは、それが現在も政治問題として、
もっぱら韓国の側から提起されているものであり、証言をしている人間も、韓国の慰安婦体験者の方が
多いことにあります。
日本統治地時代に、反民族的な行為をおこなったとされる人間を親日派と呼んでいるだけでなく、
最近では国が子孫の財産を返還させるという異常な行動をおこなうにいたったのはおそらく御存知でしょう。
これは、まず第一にかつての日本が彼らにとっての絶対悪であり、現在でもそれがアイデンティティの
構成要素として極めて重要な位置にあることを示していると思われます。
そのような状況の中で、慰安婦問題を純粋に歴史学上の問題とすることは、事実上不可能であり(相手と共通の認識を持つという前提において)、
あえておこなうにしても、少なくとも現在の韓国人慰安婦体験者の証言には、相当に懐疑的でなければなりません。
そして何より慰安婦の方々の証言が、あまりにも不正確なことはほぼ致命的な要因でしょう。
アメリカの下院議会で証言をおこなった李容洙氏は、おそらく韓国人慰安婦の中でも相当に信頼されている
人物であると思われるので、彼女の証言を確認したいと思いますが、彼女の証言は私が知っている限りでも
数回変わっています。
>韓国の李容洙さん(74)は、十四歳で銃剣をつき付けられて連れてこられたこと、拒むと殴られ、電気に>よる拷問を受けて死にかけたことなどを話し、「私は歴史の生き証人として今、生きている。この法案が審>議され、成立することを望む」と語りました。
新聞赤旗
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik/2002-06-26/13_0201.html
>李さんは「私は15歳の時に拉致された。まわりの女性は誰も売春婦のようにはお金をもらっていなかっ
>た」と訴えた。安倍首相が宿泊する迎賓館ブレアハウス前まで足を運び、「謝れっ」。デモに参加した米国
>人男性は「日本の政治家は歴史を書き換えようとしているのか」と語った。
アサヒ・コム 2007年04月27日12時36分 (web 魚拓)
>28日午後、米ハーバード大学ケネディー・スクール(行政大学院)の講義室。さまざまな人種の聴衆約100人
>が見守る中、時には感情を抑えきれず絶叫に近い声を上げる高齢の韓国人女性の話に耳を傾けた。16歳の時
>に強制連行された後2年間、日本兵の「慰安婦」をさせられたイ・ヨンスさん(79)は、ハーバード大の学生
>の前で同日、当時の「地獄の日々」について証言した。1944年に強制連行された後、繰り返し受けた無差別
>な暴行・強姦・拷問の悪夢を60年以上経った今でも忘れることのできないイさんの叫びに、聴衆は嘆き、目
>頭を熱くした。
http://www.chosunonline.com/article/20070430000025
正直申し上げて、ここまで証言の内容が一貫していないものを資料かどうかといわれても、
困るしかないのですが?
もしも、この中から比較的に整合性があるものを取り出して論じたとしても、それはもう
歴史ではなく、単なるこじつけでしょうね。
『玉葉』の場合、今後内容が書き直される可能性はありませんが、慰安婦の証言はどうなのか、
逆にいうと非常に楽しみでもあります。
少なくとも、私にはあなた方のいう歴史学とはどういうものかよくわかりませんが、
その目的が、歴史に善悪を求めるのではなく、あくまでも真実の追求にあるのであれば、慰安婦問題に関しては
証言以外の証拠が出るまでは、迂闊に証言を信じないほうがいいと思われますが、どうでしょうか。
以上、長文失礼しました。
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