日本軍占領下のビルマにおけるインフレについて () RSSフィード
 

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8inuda_oneinuda_one   Huff,G., ``The Economics of the Second World War in Southeast Asia,''を読む

どうにかkmiuraさん紹介のHuff,G.,``The Economics of the Second World War in Southeast Asia,''をざっと読んでみましたので、こちらに投稿しておきます。

Section 6以前の内容について

あまりきちんと読んでいませんが、目に付いたものだけを拾っていきます。

  • 東南アジア経済は日本軍の進駐前には国際貿易を前提とする特化型経済であった
  • 日本の方針として各地の経済を自給型に再編成を行おうとした。

Three main principles, clarified at the Liaison Conference of 12 December 1941, guided Japan's organization of Southeast Asian economies. One was `to fulfil the demand for resources vital to the prosecution of the present war'; a second `to attain virtual self sufficiency in foodstuffs in every area'; and the third that `as a matter of principle, our commodities shall not be provided for the purposes of placating the local population or for supporting the value of local currencies'.

p.10

最後の``for supporting the value of local currencies''というのが具体的に何を指すかについては良くわからないのですが。また、別の箇所(p.12)で食糧自給の方針が軍隊についても適用されたことが指摘されています。

  • 生産者に対して動機付けを行うことに失敗した
  • 消費財の配給のために「組合」を各地で作ったがうまく機能しなかった。
  • 日本から東南アジア各地への消費財の輸出はほとんど行われなかった
  • 1942年以降、商船数を減らしたため、東南アジアから日本への輸出は減少していった。さらに鉄道網の破壊により、国ごとの自給から地域ごとの自給へと縮小していった。
  • インドシナベトナムの(実質?)GDPは1937-39年に比べ1945年には半分以下となっている

Section 6について

  • 東南アジアにおける日本の戦費調達は、それ以前の戦争同様主として通貨発行によるものであった(例外的に課税を行うこともあった)
  • 貨幣供給の増加は紙幣の印刷や金融当局による追加的な発行などの直接的な貨幣の増加に依り、市中銀行による信用創造の役割はほとんどなかった*1
  • 現地資本の銀行は再開することができたが、日本の金融システムを信頼していなかったためにその活動を縮小した
  • Southern Region Development Treasuryが1942年に東南アジアにおける擬似中央銀行として設立されたが、貨幣供給量の増加を制限する能力を持たなかった。
  • マラヤ、インドネシアビルマフィリピンでは軍票が貨幣供給の主流であり続けた
  • 日本は当初、東南アジアの通貨当局を獲得し利用する計画を立てていたが、実現したのはタイとインドシナだけであった
    • この二国では円預金(yen credit)を現地貨幣の発行原資とした
    • この`special yen'は金とも外貨準備とも交換できなかった
  • Table 7に各地の貨幣供給量(M0)*2生活費の指数が掲載されている

Donnison, British Military Administration in the Far East, p.222 gives a figure of Rs. 2310 million of currency issued by the Japanese up to the fall of Rangoon as against a British peace-time circulation of Rs. 335m and an additional Japanese issue of over Rs. 3000 million in the four months after the fall of Rangoon.

という記述がある。

  • 異なるインフレのパターンはこの地域における主食である米の入手可能性で説明できる
  • フィリピン、マラヤ、インドネシア経済はは1943年の暮れまでにハイパーインフレの様相を示すようになった
  • インフレ予想と日本軍の撤退によって占領体制への信頼が揺らぎ、紙幣への信頼も揺らいだ。マラヤでは多くの人々が紙幣を財と交換しようとした

*1:余談ですが、これは経済において投資活動がほとんど行われなかったことを示唆しています。

*2:現金と預金準備の合計でおそらく今でいうところのハイパワードマネー

*3:M0がマラヤでは42年から45年までで18倍、フィリピンでは41年から45年までで31倍。インドネシアでは42年から45年で5倍弱、インドシナでは41年から45年で5倍強。物価は41年から45年の間にマラヤが100倍、フィリピンが950倍、インドネシアが66倍、ハノイが15倍。

返信2007/06/05 20:07:13