10:
noharra
9
Re:謝罪とは
■ 罪とは
ともかく、そこには基礎的にとても重要な物事がありまた求められている。それがある「べき」ことである。しかし、わたしを含め多くの現在の、従来からの、学者というもの、社会活動家・政治家というものは、そのような本当の基礎的な働きつまり人が生き死にするという文字通りの「人生」からほとんど離れて動き続けている。あるいはそこでのただ表象されたもの、その表現が、自分の人生だと思っている。私自身まったくそうだった。
ここにはしばしばひどい倒錯がある。偶像崇拝というべきか。人はそのような本当の存在者たちとは離れた像を追い続けている。罪をいうならば、すなわちその本当の存在からの人生から離れてしまう営みにこそじつは罪がある。ただ、なおそこにはさらに責罪がある。つまり、なさねばならない、という責任と当為がその罪からこそ生じる。こうして、当為と責罪とはじつは結び付いている。生きる限り、たんに動植物たちより以上に、生きようとする限り、ひとは罪をもっている。罪をもつこととよく生きようとすることは、じつは結び付いている。責罪を「背後に」もつがゆえに、かつ「現在・将来に」これを無くし減らすべき当為が見出される。責罪と当為とは方向はまったく違うが、人の状態の前後にきわめて深く結局、結び付いている。
本来の宗教的感覚からは、責罪や悪と生きることは切っても切れないものであるわけであり、普通目に見えないシールドで気づかないようにしているそのことに目覚めることが第一歩であるのだろう。
返信