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もんてびでお丸の悲劇
もんてびでお丸:豪州人捕虜ら乗せ比沖沈没 国境超え、67年後の慰霊祭--来月1日
◇「日本人も参列を」
第二次世界大戦中の1942年、フィリピン沖で米軍の攻撃を受けて沈没した大阪商船(現商船三井)の「もんてびでお丸」に乗っていた豪州人捕虜の遺族らが、7月1日、現場海域近くで初めての慰霊祭を開く。1000人以上が犠牲になった惨劇から67年。豪州の「もんてびでお丸追悼実行委員会」は「国境を超えて犠牲者の交流を深めたい」として、日本の遺族にも参列を呼びかけている。【工藤哲】
豪州在住の遺族や歴史家ら8人が実行委を結成して企画した。会場はフィリピン・ルソン島のスービックで、海岸近くの岩に沈没の事実を伝える額などを置き、冥福を祈る。
実行委の中心メンバーで元学校長のクリス・ディエカさん(61)の父親は、パプアニューギニアで戦時中に日本軍の捕虜になった。このため、旧日本軍の海軍基地があったラバウル(ニューブリテン島)の様子や、生まれる前に起きたもんてびでお丸の悲劇に長年関心を抱いてきた。豪州人捕虜の遺族3人や歴史研究家と知り合い、数年前から沈没の経緯などを調べる中で、捕虜たちを供養する慰霊祭が一度も開かれていないことを知った。
ディエカさんは「沈没で日本人以外にも1000人以上の捕虜や船員が亡くなった。国境を超えて悲劇を心に刻み、今後遺族同士の友好を深めたい」として慰霊祭を企画した。
実行委との窓口となっている民間学術団体「太平洋学会」(東京都港区)の中島洋専務理事(78)は「悲劇を知る人は少ないが、まだ日本にも遺族はいる。日豪の関係は年々深まっており、遺族同士の心の交流が両国の関係を深めるきっかけになれば」と日本側遺族の参列に期待している。問い合わせは同学会(03・5442・2706、メールpacsoc2@c...)。
http://mainichi.jp/select/wadai/news/20090608dde041040012000c.html
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■ことば
◇もんてびでお丸
1926年就航。当初は日本と南米の東海岸を定期航路客船として結んでいた。船名はウルグアイの首都名に由来。41年9月に旧日本海軍の運送船となり、兵器や弾薬を輸送した。42年6月22日に豪州兵捕虜1157人や日本人などの警戒隊員27人を乗せてラバウルから中国・海南島に向け出港、7月1日にフィリピン沖で米潜水艦の攻撃を受けて沈没した。日本人乗組員はゲリラなどに殺害され、生き残ったのは17人だけとされる。
毎日新聞 2009年6月8日 東京夕刊
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3もんてびでお丸の悲劇
noharra
2009/06/08 22:17:09
もんてびでお丸:豪州人捕虜ら乗せ比沖沈没 国境超え、67年後の慰霊祭--来月1日 ◇「日本人も参列を」 第二次世界大戦中の1942年、フィリピン沖で米軍の攻撃を受けて沈没した大 ...
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