4:
noharra
高橋源一郎の慰安婦論
今日は、月に一度の朝日新聞論壇時評の日です。今回は「戦争と慰安婦」と題して、いままた論議を呼んでいる「慰安婦問題」について書きました。
C・イーストウッドの映画「父親たちの星条旗」の冒頭には、「ほんとうに戦争を知っているものは、戦争について語ろうとしない」という意味のことばが流れます。深く知っているはずのないことについて大声でしゃべる人間には気をつけたい、とぼくは思ってきました。もちろん、ぼく自身についてもです。
「慰安婦問題」でも、ある人たちは、「慰安婦」は「強制連行」され「性的な奴隷」にされた、と主張し、またある人たちは、「いや、あれは単なる娼婦で、自発的に志願して、かの地にわたり、大儲けしたのだ」と言います。けれど、朴裕河さんのいうように、どちらの場合もあった、というべきでしょう。
そして、その間には無限のグラデーションがあり、「性的な奴隷」に見える中に日々の喜びもあり、また逆に、「自発的な娼婦」に見える中に、耐えられないほどの苦しみもあったはずです。けれど、この問題をめぐる議論は、お互いに「見たいもの」しか見ないことで不毛になっていったように思います。
とりわけ、「戦争を知らない」世代が、紙の「資料」をもとにして、なんでも知っているかのように論じる姿に、ぼくは強い違和を感じてきました。実際に「戦争を知っている」世代は、そんな風な語り方は決してしなかったからです。
戦争中、多くの作家たちだが、兵士として戦場に旅立ちました。そして生き残ったものたちは、帰国して後、戦場で見たものを小説に書き記しました。そこには、「慰安婦」たちの生々しい姿も刻みつけられています。有馬頼義、長谷川四郎、富士正晴、伊藤桂一、田村泰次郎、古山高麗雄、等々。
彼らは見たものを書きました。頻発する強姦、民間人・農民の無差別虐殺、狂気に陥る兵士、自分が何をされるかわからないまま連れて来られた慰安婦たち。けれども、彼らは「わたしは知っている」とは書きませんでした。「わたしが見たのはそれだけだ。他のことはわからない」と書いたのです。
古山高麗雄は、数多くの戦争小説を書き、その中で繰り返し、慰安婦を登場させました。けれど、彼は、戦場では慰安所に行こうとはしませんでした。「慰安婦は、殺人の褒賞であること」を知っていたからです。戦後しばらくたって「慰安婦問題」が大きく取り上げられるようになって、彼はこう書きました。
「彼女は…生きているとしたら…どんなことを考えているのだろうか。彼女たちの被害を償えと叫ぶ正義の団体に対しては、どのように思っているのだろうか。そんな、わかりようもないことを、ときに、ふと想像してみる。そして、そのたびに、とてもとても想像の及ばぬことだと、思うのである」
誰よりも、彼女たちの心に近かった古山でさえ、「想像の及ばぬことだ」というのだとしたら、遥か遠く、「戦争を知らない」ぼくたちは、もっと謙虚になるべきなのかもしれません。そんなことを書いてみました。ご笑覧くだされば幸いです。
https://twitter.com/takagengen/status/504773651908919296
彼の主張の主意が、「見たこともないのに慰安婦は売春婦だったと言い募る」人々に向けられていることは明らかです。
しかし、その述べ方として「どっちもどっち論」に傾斜しているような言い方をしているので、あんまりだと、思いました。
21年前の河野談話以来の「なかった派」の言説は、およそ理屈にならないものをむりやりこねあげているだけのものであり論理的にまともに格闘できるような水準の議論にはなっていません。
それをふまえずに「お互いに「見たいもの」しか見ない」と言ってしまうのは、悪しき中立主義であると思います。
ところで、有馬頼義、長谷川四郎、富士正晴、伊藤桂一、田村泰次郎、古山高麗雄、等々が記した慰安婦像をもっと読むべきだ、とする提言はおっしゃるとおりだと思う。
(また戦争中戦争嫌悪者だった古山高麗雄がなぜ晩年、教科書作る会に名を連ねるに至ったか、かれをそうさせてしまった戦後左翼の不十分性はどこにあったのか?も問われるべき。)
さて、論点として問題になるのは、
「自発的に志願して、それなりの儲けがあった娼婦」といえる人もあるいは「廃業の自由があった」といえる人も沢山いたのか?という点ですね。
皆無ではなかった、とは言わざるをえないように思います。
ただ戦争末期の南島などの前線の場合とそれより前の時代の例えば上海のような大都会の場合には、処遇において、極端な違いがあった。後者の場合を「強制性のない・自発的契約」と捉えてもいいものかどうか?
この論点が大事なら、「従軍慰安婦と公娼制度 従軍慰安婦問題再論」などの倉橋正直氏の本とか読んでみる方が良いかもしれない。
慰安婦と文学という論点については、井上俊夫詩集 『従軍慰安婦だったあなたへ』 全編
http://inouetoshio.com/ssmokuji.htm
を参照すべきでしょう。有馬頼義以下が〈帰ってきたインテリによる一方的回想〉であるのに対し、老醜の元慰安婦が日本にはるばるやって来てそこで〈会う〉話を井上俊夫は書いている。
まして私たちが戦場で出逢った、若く美しくやさしかった従軍慰安婦の思い出は、日に日に甘美な夢となって、私たちの胸の片隅でひっそりと生き続けていた。
ところが、元・従軍慰安婦の突然の出現と告発は、私たち元・日本軍兵士が長年抱き続けてきた、そのような一方的で身勝手な夢を完膚無きまでに打ち砕いてしまったのだ。
-
4高橋源一郎の慰安婦論
noharra
2014/08/28 09:48:40
今日は、月に一度の朝日新聞論壇時評の日です。今回は「戦争と慰安婦」と題して、いままた論議を呼んでいる「慰安婦問題」について書きました。 C・イーストウッドの映画「父親たちの星条旗」の冒頭に ...- └
5Re:高橋源一郎の慰安婦論
noharra
2014/08/28 13:17:49
(論壇時評)戦争と慰安婦 想像する、遠く及ばなくとも 作家・高橋源一郎 の原文はこちらですね。 http://digital.asahi.com/articles/DA3S11320312.h ...
- └
5Re:高橋源一郎の慰安婦論
返信