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日常生活では、どんな店屋の主人でもしごくあたりまえに、ある人が自分がこうだと称する人柄と、その人が実際にどういう人であるのかということを区別することぐらいはできるのに、わが歴史記述ときては、まだこんなありふれた認識にさえも達していないのである。それは、あらゆる時代を、その時代が自分自身について語り、思い描いた言葉どおりに信じ込んでいるのである。    『ドイツ・イデオロギー』

私家版・従軍慰安婦問題のリンク集(2008・8)

071011

[] 曖昧な主体 17:36 はてなブックマーク -  曖昧な主体 - kmiura  曖昧な主体 - kmiura のブックマークコメント

”日本軍は強制していない”という主張の日本軍という主体はどこにあるのか、という批判を先日ちょっとだけ書いたのだが、似たような話が別の形であったので、以下に示す。反国家的な活動家の入国、日本ならどうする?というブログ記事。

 翻って、日系米人で上院議員のマイク・ホンダ氏、日本の戦時中の「慰安婦問題」で日本非難の決議案を米国上院に提出し採決した本人だが、このマイク・ホンダ氏が来日したらどうするか。在米中国人からの要請で、何故日本非難の決議をするか、あなたは日系人ではないかとの問に対し、「正しいことだから」と公言していたが、入管はホンダ氏を空港で足止めするか。ようこそホンダ様と迎えるか。台湾李登輝氏の扱いとは異なるだろう。賛成も反対もなかろうが、仮に反対があってもわが国の場合は理由にならないような尤もらしい理由をつけて反対を抑えるであろうことは容易に想像がつく。お人好しと言うべきか、事勿れ主義というべきか、主体性がなくて一向に方針が決らない。北の将軍様の御曹司金正男真紀子が追い返した例もあるが。

風通庵-直言 2007-10-11 10:13:50

私が太字にした部分なのだが、ここでいう主体はいったいだれなのか?”日本国”が主体なのであれば、それは人間で言うと誰にあたるのか?個人が主体なのであれば、マイク・ホンダ主体性はあるし、それを批判する上記のブログ子にも主体性がある。批判することはそれぞれ自由に行えばいいが、そこに具体的な排除(たとえば入国拒否)が存在しないということを持って”主体性がない”というその対象はいったい具体的な誰をさすのだろうか。

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