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日常生活では、どんな店屋の主人でもしごくあたりまえに、ある人が自分がこうだと称する人柄と、その人が実際にどういう人であるのかということを区別することぐらいはできるのに、わが歴史記述ときては、まだこんなありふれた認識にさえも達していないのである。それは、あらゆる時代を、その時代が自分自身について語り、思い描いた言葉どおりに信じ込んでいるのである。    『ドイツ・イデオロギー』

私家版・従軍慰安婦問題のリンク集(2008・8)

071223

[] 再掲 11:40 はてなブックマーク -  再掲 - kmiura  再掲 - kmiura のブックマークコメント

葉隠さんのコメントに関連して一年ぶりに読んで、あーそうだ、と思ったので再掲。

hizzz 2006/09/02 14:36 サムライを日本の表象とする最近の風潮ですが、「恋のはじまりの至極は片恋なり/主従の内など、この心にて澄むなり」(葉隠)つーことで、近世前期以降の「家」は、主君従者の情緒的な結合関係で、両者間での忖度と慮りの暗黙知=心情と利害の共有がプライオリティ。しかしこの情緒的モラル結合は、論理=ルールを持たず半永久的な二者関係として閉じられることにより、二者関係→主従抑圧のヒエラルキーの重なりというさらに深い内面的緊張の連鎖は、共同体の仲間はおろか自己存在そのものを信じられないという自己矛盾ループをもたらしています。本来非概念的なものの制約を受けて成り立ってる理性は、その制約の範囲内でしか有効でないのにもかかわらず、社会に向かって野放図に発展させるから、難解/困難を伴うんです。慣性情緒=共感な繋がりであり掲げるイデオロギー=論理は建前にすぎない所には、いくら外部/他者が「ウヨク化」と言っても、内部結束を強化するダケに終わり無意味なのです。ウヨ/サヨ双方共そのように言葉=論理を根本的に信用してないからこそ、「一致団結」というカタチ=ふるまいを表すことこそが重要な内部社会承認=精錬の美学であるのに、内部なクセにそれにケチをつける者はなによりも許しがたいということで、今度は排他/いじめのプロセスが進行します。

そのように「近代への抵抗」として「所有と実存」の方法論というウヨ/サヨ成立過程&運営は同じですから、実存的葛藤なしに「転向」はいとも簡単に起こるんですよね。それは自民党の派閥争いと同じです。更に、「現代への抵抗」として加わった「多様性/多文化」をどうするかで、自己決定の個人主義的自由追求か人体的自然管理として公共平等化追求かの論理展開の中で、そのどちらにも分けられない情緒的結合体の内面的緊張が表現されてるのかと。それは、ウヨ/サヨに関わらず、はてな界隈なネット話題「儀礼的無関心」~「弱者男性/非モテ」もまったく同じなんですよね。

http://d.hatena.ne.jp/kmiura/comment?date=20060901#c

最近また勃発している匿名イザコザとかも関連する。

hizzzhizzz2007/12/31 02:04ううう、亀な訂正「恋のはまりの」→「恋のはじまりの」。KY=空気嫁もこの流れかも。

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