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2008-05-16

カール・ヨネダ『アメリカ情報兵の日記』(part 1) カール・ヨネダ『アメリカ一情報兵の日記』(part 1) - Stiffmuscle@ianhu を含むブックマーク はてなブックマーク - カール・ヨネダ『アメリカ一情報兵の日記』(part 1) - Stiffmuscle@ianhu カール・ヨネダ『アメリカ一情報兵の日記』(part 1) - Stiffmuscle@ianhu のブックマークコメント


八月一~二日

 雨上がりだが空は曇っている。「掃討戦だからミチナの完全占領は時間の問題だ」と一戦友が語る。それでも日本兵は強情に反撃してくる。敵の本部の塹壕に到達したとき、入り口で数名の傷病兵と、驚くなかれ二十余名の朝鮮慰安婦中米兵士に取り囲まれている。「どうしたのか」と問うと、「俘虜を後送するためにMPと衛生兵を待っている。第一一四連隊丸山安大佐は、昨夜、こっそりと壮健な部下をつれて逃げ出し、彼らや彼女らを置きっぱなしにした。日本将校は臆病者だ」という。全くその通りだ。"General who reaps glory while his 10,000 die.(一将功成りて万骨枯る)" だ。


(中略)


 本部に帰って、臨時拘留所に出かけると多くの米軍兵士が“涎を流す”ような顔をしている。衛生兵慰安婦*1の足や手にできている水虫に薬の手当てをしているのを見ていたのだ。MPの許可を得て中に入るや、一人のGIが私に、「何の特権があるのか」と詰問調に問う。「私は尋問官だ。君が日本語を話すことができれば入れるよ」と答えると、彼は無言で退却。どの女も、宣伝放送は塹壕の中にいたので聴いたことはないという。傷病兵の中で、聴いたが足が動かないためどうすることもできなかったという者あり。手榴弾を与えられたが使わなかったとのこと。大した反応はなく、レド基地に送ったあと、ゆっくり尋問することにする。


カール・ヨネダ『アメリカ情報兵士の日記』、PMC出版、1989年、96~97ページ。

*1日本軍は、主に韓国の農村から「お茶くみ女」の明目で多くの婦女子を誘拐して戦地に送り慰安婦にし、ビルマだけでも2800名いた、と金一勉著『天皇の軍隊と朝鮮慰安婦』(三一書房、1976年刊)の中に書いてある。ミチナからレド拘留所に収容された21名(うち1人はままさん)の尋問は依地軍曹が担当。後述の本日記中にもあるように、彼の報告書は人気を博して、ワシントンのOWI本部でも引っぱりだこで読まれたという。

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