1:
zames_maki
研究者とは誰か
新参者でいきなりスレッド立ててすみません。ただ関心があるので、私は慰安婦は性奴隷または強姦被害者だと思う、簡単に言って吉見義明さん達の研究を素直に受け取っている者です。しかしネットの上では、こうした研究は全く通用しません。いわくジャーナリストの方が実はレベルが高い、その研究は信用できるのか?等々。
しかしこれも一理ある、国会図書館で調べると吉見義明さん達は、自分たちの雑誌「戦争責任研究」で主に発表を行っており、批判的に見れば仲間内でしか結果を交換していないように見える。そこで質問です。
(1)慰安婦の研究者と言いうるのは誰で、どんな要件をもつ人なのか?
(2)それは自由主義史観の論者、例えば藤岡信勝教授の言論や雑誌WILLに書くようなジャーナリストの記事よりどのような理由で信頼に足ると出来るのでしょうか?
(私はもちろん吉見らの方が信頼に足ると思ってますが、ネットの上ではこれを説明するのは簡単ではないように思います)
2:
nagaikazu
1
Re:研究者とは誰か
zames_makiさんへ
永井です。私もいちおう研究者のはしくれですので、お答えしなければいけないのですが、正直言いますと、zames_makiさんのご質問そのものに対して、少し抵抗を感じます。
というのは、われわれ研究者というのは、そもそも自分の学術研究の成果を発表するのは、ほとんどの場合、専門の研究者のみが講読している学会誌(ジャーナル)という場です。そして、そこで発表した論文の内容で、その人の研究者としての評価が定まります。
つまり、そもそも専門的な研究者というのは、「仲間内でしか結果を交換していない」のです。
ですので、「仲間内でしか結果を交換していない」から、その研究は信用できないという考え方が、われわれ研究者には理解不能な考え方なのです。
有名な湯川秀樹の中間子理論は、最初の論文が1935年に『数物学会誌』(この学会は由緒ある権威の高い学会です)に掲載されたのですが、もちろんこのような雑誌は特定の専門家しか読みません。
日本人なら湯川秀樹が大学者だとみな知っているでしょうが、そのノーベル賞を決定づけた研究論文を実際に読んだ人はごくわずかでしょう。ましてそれが『数物学会誌』という雑誌に最初に掲載されたことなど、知る人はほとんどいないでしょう。
3:
noharra
慰安婦のイメージ
zames_makiさん こんにちわ
学者vsジャーナリスト というのはステロタイプだが廃れない問いかけかもしれませんね。
でもひょっとすると、zames_makiさんの疑問の重点は「慰安婦とはどういうものだったのか?」にあるのではないですか。
それならば、キーワード「従軍慰安婦」の後ろに並べたリンクを読んでいくと大体のイメージはつかめると思います。最後の二つは学者の(永井先生と浅野先生)ものですが、ちょっとがんばれば読めると思います。
主張を表面的に眺めるとどっちもどっちに思えるかも知れませんが、その背後にあるすでに消え去ったが決してなかったわけではない歴史的事実(それに今から近づこうとするのは容易なことではない)をちゃんとふまえて主張しているのかどうか、を判断しないといけない。
右とか左とかでない日中戦争のイメージをつかむために意外と良いのは以下のような小説かもしれない。
・古山高麗雄の『フーコン戦記』isbn:4167291037など文春文庫の戦争文学三部作
・田村泰次郎『肉体の悪魔・失われた男』ISBN:4061984519
http://d.hatena.ne.jp/noharra/20070316#p3
なんか偉そうに書いてしまいましたが、実際はわたしもほとんど知識はないのです。
4:
zames_maki
2
Re:Re:研究者とは誰か
zames_maki(ゼームス槇)です。コメントありがとうございます。では早速、
>>そもそも専門的な研究者というのは、「仲間内でしか結果を交換していない」のです。
私は一応修士論文も書きましたので研究者というもののイメージはあるつもりです。しかし、この慰安婦の件について、ネットの上では、研究者などというものなど、吉田清治と朝日新聞社の嘘に騙された愚か者か、自虐史観に洗脳された偏見の持ち主としか受け取られていないように思います。これはウィキペディアという場所で、中立的な観点で記事を書きなさいという方針に従うなら、吉見義明の言い分と、雑誌WILLに与太記事を書いているジャーナリストを並べて書くべきだという声(いや力)になって現れているのです。
私も失礼を省みず言わせてもえば、研究者仲間でしか情報交換していない研究結果は存在しないのと同じです。例えば慰安婦について言えば吉見氏が1992年にもし資料の存在を公開しなければ、今でも日本政府と日本国民は慰安婦は自由意志に基づく職業的な売春婦と見なしていたでしょう。nagaikazuさんもネット上で論文を公開したからこうして反応があるのではありませんか?
5:
zames_maki
3
Re:慰安婦のイメージ
noharraさんこんにちわ、zames_maki(ゼームス槇)です。どうぞよろしくお願いします。
さて、いきなりで失礼ですが私は慰安婦の研究結果は一般の人よりは知っているつもりです、尹明淑、朱徳蘭、石田米子&内田知行さんの3冊の本を全部真面目に読んだ訳ではありませんが、概要は知ったつもりです。特に尹明淑が指摘する、慰安所-山西省での長期に渉る誘拐と繰り返しの強姦-戦場での強姦、の3つが連続した日本軍の性犯罪だという指摘に、納得せざるを得ないと思っている所です。
しかしその上で、ネット上ではそうした本の内容はほとんど意味を持たない事が残念でならないわけです。
>学者vsジャーナリスト というのはステロタイプだが廃れない問いかけかもしれませんね。
慰安婦問題では実際それが起きているのではないでしょうか?吉見が提示した「軍の慰安所従業婦等募集に関する件」という資料の意味をネットの上では、単に軍が悪い業者を排除した証拠だと決定しています。それは正に産経新聞などのジャーナリストが学者に勝ったと言うことではありませんか?
6:
noharra
失礼しました
ゼームス槇さん
あちゃー そうだったんですか。
尹明淑、朱徳蘭、石田米子&内田知行さんの3冊の本、私3冊とも読んでません。とんだ失礼を申し上げました。
しかし、この慰安婦の件について、ネットの上では、研究者などというものなど、吉田清治と朝日新聞社の嘘に騙された愚か者か、自虐史観に洗脳された偏見の持ち主としか受け取られていないように思います。これはウィキペディアという場所で、中立的な観点で記事を書きなさいという方針に従うなら、吉見義明の言い分と、雑誌WILLに与太記事を書いているジャーナリストを並べて書くべきだという声(いや力)になって現れているのです。
ウィキペディアの「慰安婦」をめぐる争いに参加されたのですね。吉田詐話史観派の勢力を無視しえない、それどころかそちらの方が優勢であるという情勢であると。
これをどう打開できるか? その前に
問題を、学者vsジャーナリストと捉えるかどうかですが、そう捉える必要はないと思います。
なかった派(吉田詐話史観派)と呼ぶにしろ呼ばないにしろ、彼らの側にも、慰安婦支援側にも、学者、ジャーナリスト、体験者、ネット発言者、政治家などなど、多様な人が居るわけでしょう?
学者の業績をアカデミズムから世間に仲介するのはまさにメディアの仕事でしょう。今回の吉見、林両先生のように自らマスコミの前で発言するのは、「ジャーナリスト」としても振る舞ったということでしょう。
言説の色々な場所で、「右派」の優位が見られるがアカデミズムではまだそうではないというだけのことではないでしょうか?
(すいません。雑誌WILLなどにどんな与太記事が書いてあるのか実は全く知らないので発言権がないかなあ。)
7:
nagaikazu
4
Re:Re:Re:研究者とは誰か
zames_makiさん、おはようございます。
これは失礼しました。だとすれば、
そもそも専門的な研究者というのは、「仲間内でしか結果を交換していない」のです。
などというのは、釈迦に説法で、zames_makiさんは百も承知のはずですね。知らぬこととはいえ、ピント外れなことを言いました。よせばいいのに、湯川秀樹のことまで書いて、汗顔のいたりです。
ただ、zames_makiさんの問題意識からすると、最初に出されたご質問は、やや的外れな気も致します。
しかし、この慰安婦の件について、ネットの上では、研究者などというものなど、吉田清治と朝日新聞社の嘘に騙された愚か者か、自虐史観に洗脳された偏見の持ち主としか受け取られていないように思います。
こういう問題意識でしたら、むしろ質問としては
「なぜネット上(あるいはジャーナリズム上)では、吉見義明のようなまともな研究者の言うことが信じられずに、「雑誌WILLに与太記事を書いているジャーナリスト」と同列あるいはそれ以下の扱いをうけるのか」
「それに対抗してまともな研究者の言論がネット上で優位を獲得するには、研究者は何をなすべきか」
にするべきではなかったでしょうか。
私も失礼を省みず言わせてもえば、研究者仲間でしか情報交換していない研究結果は存在しないのと同じです。
ネットやメディアの世界にとっては、「存在しないのと同じ」かもしれませんが、学術研究の世界では存在しております。
例えば慰安婦について言えば吉見氏が1992年にもし資料の存在を公開しなければ、今でも日本政府と日本国民は慰安婦は自由意志に基づく職業的な売春婦と見なしていたでしょう。nagaikazuさんもネット上で論文を公開したからこうして反応があるのではありませんか?
吉見さんや林さんは、研究者仲間をこえて積極的に情報を発信されています。林さんの論文のかなりの部分がネット上で読めます。吉見さんは通常の研究者のなすべき範囲を超えて、従軍慰安婦問題について自分には研究者としての社会的任務があると考えて、積極的にコミットメントされたのです。その結果、ひどいバッシングの対象となり、ネット上では「吉田清治と朝日新聞社の嘘に騙された愚か者か、自虐史観に洗脳された偏見の持ち主として」おとしめられる結果となったのです。
なお、私の論文についていえば、「陸軍慰安所の設置と慰安婦募集に関する警察史料」は1999年からネット上で閲読可能ですし、「陸軍慰安所の創設と慰安婦募集に関する一考察」および「日本軍の慰安所政策」は公開してから2年半以上たちます。
しかし、上記の論文がネット上で注目されるようになったのは、2007年3月になってからです。それまでは、およそ顧みられることがなかった。いわば「存在しないのと同じ」でした。むしろこんなに注目されるようになって、私自身驚いている状態です。
私の実感では、ネットに成果を公開したからといって、ただそれだけでは「仲間内でしか結果を交換していない」のとさほどかわらない。むしろ、反応の手応えはほとんどない。ネット上に公開しても、その関心が集まらなければ、読まれたり、評判になったりはしないということです。
8:
takeo1219jp
日本における誤解と韓国における誤解と
http://www.janjan.jp/government/0704/0704170950/1.php
あまり詳しい話はお話できませんけれども、まず、今和田先生がおっしゃったような慰安婦問題に対する日本の対応に対して、韓国では殆ど理解されておりません。具体的には、民間基金であるということで批判されたわけなんですが、政府が関わっており、首相の手紙がついているという、とても単純なことではありますが、象徴(的)なことであります……そういったことさえも、一般的な知識にはなっておりません。
(中略)
2点目なんですが、これは韓国にとってはとても大事なことだと思いますが、「慰安婦問題をめぐる本当のこと」と先ほど私は申し上げました。それは……これは日本の“右派”の人もよく言っていることなので慎重に言いたいと思いますが……「動員の過程において、韓国人も関わっている」といった事実があります。
もちろんそういったことを言いましても、あくまでも植民地化という被害の中での加害でありますので、細かいことはもちろんいろいろ言えることはあります。しかし、そういったことに関して、韓国の人たちは殆ど知りません。個人的なことをちょっと申し上げますと、私は慰安婦の方とインタビューをしたことがありますが、義理の父親に売られて行った女性がいました。もちろん、このことは最近日本の右派の人も言っていることなので、誤解を避けるためにもう1回強調しておきたいのですが、それはやはり需要があったからこそ、そういうふうな動きがあったわけなので、そのこと自体に対する批判はしません。
その方が、自分の苦労をいろいろ話した最後に、私が聞きました。「日本軍とそのようにした父親とどっちが憎いのか?」というちょっと意地悪な質問をしました。その方は、「お父さんだ」というふうに言いました。そこで、私が思うのは、私たちが責任を取るということは、やはり、そういった気持ちに応えるということだということです。そういうふうに思った時に、そういった加害性に関しての責任は、確実に韓国にもあるというふうに思うわけです。
さらに言いますと、韓国戦争の時に、韓国軍隊も慰安隊を運営したという事実が出てきております。研究が出てきてます。こういったことを言いますのは、日本の加害性がそのことによって薄まるということではありません。そういったことによって、そのことを知ることがもしあったとすれば、日本に対する非難の内容が少しは変わってくるというふうに思うわけです。
今、出ているアメリカでの批判も含めて、今、申し上げたように、韓国自身も、或いは韓国だけじゃなく、他の国もそういった慰安婦制度を持っていたということがあるのに、慰安婦問題を、日本だけのことにしてしまって、慰安婦問題の本質を考えるという機会が失われるのではないか、私は寧ろその点を憂慮しています。
9:
takeo1219jp
誤解が生じる理由
永井さん、こんにちは&はじめまして。
永井さんの日記に次のような記述がありました。
http://ianhu.g.hatena.ne.jp/nagaikazu/20070422
たしかに人身売買と強制売春は、古今東西をとわず、世界中のいたるところにあります。しかし、国家機関がその構成員のための福利厚生施設として、性欲処理施設を設置し、そこで強制売春をおこなった、あるいは強制売春がおこなわれるのを容認していたというケースは、あまり他に例がないでしょう。
「軍慰安所従業婦等募集ニ関スル件」で精緻な議論を展開された永井さんが、「あまり他に例がない」とお茶を濁した発言をされているのを見て、少々がっかりしました。投稿番号8で紹介したように、韓国でも慰安隊が運営されていたそうですし、また元読売新聞記者の木佐芳男氏はナチスドイツの問題に関して次のように述べています。
http://www.tafjapan.org/forums/pdf/20011113pdf/87to115-j.pdf
いわゆる「従軍慰安婦」の問題は、日本のイメージを損なう大きな要因になった。慰安婦には日本人もたくさんいたが、日本の一部のメディアや市民団体は、なぜか海外出身の女性だけを「被害者」として注目するケースがほとんどだ。しかも、日本人以外の元慰安婦を支援する運動で、日本側が主導的役割を果たしている点が特徴的だ。
かつてのドイツにも慰安婦制度があり、ふつう強制売春と呼ばれている。このテーマで本を書いたクリスタ・パウルさんは「ナチスが自分の国の人間を強制的に売春させた問題に限って研究しました」と語った。(邦題『ナチズムと強制売春』明石書店、1996年)
ナチス強制収容所の売春宿とはまったく別に、占領地での国防軍の売春宿(慰安所)制度もあった。その実態は、フランツ・ザイトラー著『売春・同性愛・(徴兵忌避のための)自己傷害ドイツ軍衛生管理問題 1939-1945』に詳しい。
国防軍は、慰安所を設ける一方で、1940年10月10日から、軍人による強姦は親告罪とした。つまり、ドイツ軍に占領された地域で強姦された女性が、みずから占領軍当局に被害を届け出、しかもその事実が立証されないかぎり、兵士は罪にはならない。これは、事実上、強姦を黙認することを意味した。(ズーザン・ブラウンミラー著『われわれの意志に反して』1992年)
旧日本軍は、兵士の強姦事件を防止するため慰安所の設置に関与したとされるが、旧ドイツ国防軍は、強姦を事実上、認めていたのだった。
ドイツでただ一か所、強制売春関係の史料を展示しているブーヘンヴァルト強制収容所記念館の館員は「メディアなどからの問い合わせはありません。外国からの反応もないです」と話した。女性専用のラーヴェンスブリュック強制収容所記念館の学芸員も「旧日本軍をめぐる責任追及、補償要求のような運動はドイツでは決して起きないでしょう。ドイツの世論は、この問題を提起することを支持していません」と述べた。
強制収容所内で売春した政治犯のなかないは、戦後「反ナチス抵抗派」として称えられてきた人びともいる。国防軍のクリーン神話もある。収容所であれ占領地であれ、強制売春の問題が今もタブーとされているのは、ナチスだけを<悪いドイツ人>としてスケープゴートにしたドイツ式過去の清算の構図が崩れてしまうためなのかもしれない。
pp.98-99
僕は慰安婦問題に関して痛ましい気分になるのですが、それとは逆に「あまり他に例がない」という説明には納得できずにいます。「あまり他に例がない」は「特異な部類に入る」と言い換えられると思うのですが、当然比較考察の結果そうした結論を導き出されたと推察します。であるなら、永井さんにはその比較考察のための資料を是非提供していただきたいのですが、お引き受けいただけるでしょうか。
10:
nagaikazu
9
Re:誤解が生じる理由
takeo1219jpさん、はじめまして。
「軍慰安所従業婦等募集ニ関スル件」で精緻な議論を展開された永井さんが、「あまり他に例がない」とお茶を濁した発言をされているのを見て、少々がっかりしました。
それは申し訳ないことをいたしました。ナチスドイツの国防軍や親衛隊に慰安所があったことは知っておりますし、韓国軍の慰安所については、ebizohさんも質問にあげていたくらいですので、知らないはずはありません。「あまり他に例がない」は「日本だけにみられるもので、他にはまったくない」という意味でいったつもりではないのですが、そういうふうに受け取られたとすれば、「同時代では他にはナチスドイツくらいで、あまり例がない」と訂正いたしましょう。
僕は慰安婦問題に関して痛ましい気分になるのですが、それとは逆に「あまり他に例がない」という説明には納得できずにいます。「あまり他に例がない」は「特異な部類に入る」と言い換えられると思うのですが、当然比較考察の結果そうした結論を導き出されたと推察します。であるなら、永井さんにはその比較考察のための資料を是非提供していただきたいのですが、お引き受けいただけるでしょうか。
せっかくですが、以上のような事情ですので「比較考察のための資料」を提供できません。ドイツの例は他人の研究を参考にしただけで、副官通牒の分析のように自分で一次資料を読んだわけではありませんし、韓国の例については人づてに聞いただけで、研究論文すら読んでおりませんので、お恥ずかしながら、比較考察といえるようなことはやっておりません。
11:
zames_maki
6
Re:失礼しました
noharaさんへ
雑誌WILLの与太記事というのはこんな感じです。雑誌「諸君」でやっていたことをもっとどぎつくやってる様ですね。内容(強制連行、証言、公娼)も10年前からまったく変わっていません。
http://dnalt.iza.ne.jp/blog/entry/142759
>今回の吉見林両先生のように自らマスコミの前で発言するのは「ジャーナリスト」としても振る舞った
違うと思います、彼らは自分の発見を研究者として解釈の上、発表したのであって、その内容の信憑性や意味合い(東京裁判の判決の中に慰安婦への日本軍の強姦が含まれる事の意味)も同時に教示している。信憑性や意味について彼らが発信できるのはそれだけの、背景知識と総合的に考察できる知見をもっているからです。
もしこれらの資料の存在をただ朝日新聞が報じても、秦郁彦のような学者にそれは無意味だと言われて終わるでしょう。秦とはある程度の議論が必要でしょう、しかし秦ではなくWILLに書いた記者が吉見らの発見を無意味だと言ったときそれに「どのような理由」で反論できるかを私は問うているのです。
12:
zames_maki
7
Re:Re:Re:Re:研究者とは誰か
13:
noharra
11
Re:Re:失礼しました
ゼームス槇さん
「雑誌WILLの与太記事」の雰囲気を教えていただきありがとうございます。ぱっと見、目を逸らしたくなってしまいます! うーん。
あと学者とジャーナリストの差異については、トリヴィアルな感じ方の違いなのかもしれません。
(学者が)「信憑性や意味について彼らが発信できるのはそれだけの、背景知識と総合的に考察できる知見をもっているからです。」と書かれていますね。
ジャーナリストはジャーナリストとしての「背景知識と総合的に考察できる知見をもっている」べきものでしょう。ただ学者としては先行研究の地平との関係が重視されるのに対し、ジャーナリストとしては世間のものの見方にどうやって働きかけられるかといった問題意識が重視されるのでしょう。(与太記事専門のジャーナリストはこの基準からは外れますが、これは売れる?とかの別の基準を持っているのでしょう。)
わたしは素人ながら「わずかな知識と自分なりの地平それと訂正に開かれた態度」でもって書いていきたいと思います。
14:
takeo1219jp
10
Re:Re:誤解が生じる理由
nagaikazuさん、お返事ありがとうございます。
それは申し訳ないことをいたしました。ナチスドイツの国防軍や親衛隊に慰安所があったことは知っておりますし、韓国軍の慰安所については、ebizohさんも質問にあげていたくらいですので、知らないはずはありません。「あまり他に例がない」は「日本だけにみられるもので、他にはまったくない」という意味でいったつもりではないのですが、そういうふうに受け取られたとすれば、「同時代では他にはナチスドイツくらいで、あまり例がない」と訂正いたしましょう。
せっかくですが、以上のような事情ですので「比較考察のための資料」を提供できません。ドイツの例は他人の研究を参考にしただけで、副官通牒の分析のように自分で一次資料を読んだわけではありませんし、韓国の例については人づてに聞いただけで、研究論文すら読んでおりませんので、お恥ずかしながら、比較考察といえるようなことはやっておりません。
世界戦争犯罪事典の中で秦郁彦氏もドイツと日本を同じケースに分類していたので、同時代の例としてドイツを提示することは研究者の常識なのだと思います。
ただ、「古今東西をとわず」見た場合に、ヴェトナム戦争時の事例は欠かせないと思われます。例えばスーザン=ブラウンミラーは次のように述べています。
軍慰安所の伝統は、アメリカ軍の駐留よりはるか以前からヴェトナムに根づいていた。ヴェトナム戦争初期のルポを生き生きとした筆致で描いた故バーナード・フォールは、インドシナ戦争中のフランス陸軍が戦争における女性の利用に対して行った際立った貢献――移動野戦慰安所を設置し、アルジェリア女性を働かせた――について、熱っぽく語っている(122)。フォールによれば、「移動慰安所は部隊とともに戦闘地域を移動した。インドシナに駐留していたフランス軍は、その存在をアメリカの記者や役人の目にはふれないようにしていた。ある大佐は『どこかのおしゃべりが、アメリカの資金がフランス軍の慰安所維持に使われているなどということを言いふらしたら、とんでもない騒ぎになる』ともらした」。有名なディエンビエンフー要塞の中にも移動野戦慰安所があったと、フォールは書いている。
アメリカ軍がフランス軍にとって代わるころには南ヴェトナム社会は混乱の度を増し、もはや軍慰安所のために外国女性を連れてくる必要もなくなっていた。もっとも、この長期にわたる戦争以前のヴェトナム社会に売春が存在しなかったというわけではない。ピーター・アーネットの言葉を借りれば、「売春は古くから存在していた。金が必要になると家長が娘を売るという例も少なくなかった」のである。だが戦争が長引くにつれて、多くの南ヴェトナム女性にとって売春が生計を立てるための唯一の手段となったのは事実だ。一九六一年には、この問題を憂慮した教育者や作家、ソーシャルワーカーら数百人の女性によってヴェトナム女性の尊厳および人権擁護委員会なる組織がサイゴンで結成されたとAP電は伝えている(123)。同電によれば、その第一回会合では「激しい言葉」が飛び交い、ある女性教育者は、「戦争で悲惨な状況に陥った国民は、アメリカドルを得るために妻や子ども、親戚、友人まで売ることを余儀なるされている」と発言した。しかし戦争という圧倒的な現実の前に、この委員会の消息はその後二度と聞かれることはなかった。
(121) Bernard Fall, Street Without Joy, New York:Shocken, 1972, p.133.
(122) Fall, pp.132-134.
(123) Andrew Borowiec, Associated Press Special Report, Saigon, July 8, 1996.
スーザン=ブラウンミラー「レイプ・踏みにじられた意志」幾島幸子 訳 勁草書房 2000 pp.119-120
ヴェトナム戦争ではフランス軍もアメリカ軍も管理売春を行っていたらしい。特にフランス軍はアルジェリア女性を連れてきたいたそうで、植民地出身者を慰安女性に利用する点が日本の慰安所との類似点だと思われます。アメリカにしても貧困による女性の身売りを利用したという点に類似性があると思われます。
微細な点をつつく質問をして申し訳なかったのですが、慰安婦問題には吉田証言など信憑性に疑念が持たれる情報があり、そうした情報と並列に並べることにより研究者の評価を落とす行為が発生していると思われるので、研究者にはなるべく曖昧な発言を避けていただきたいと不遜を承知の上で申し上げる次第です。
15:
nagaikazu
12
Re:Re:Re:Re:Re:研究者とは誰か
zames_makiさんへ
nagaikazuさんへ
なぜネット上では吉見義明のような研究者の言うことが信じられずに雑誌WILLに与太記事を書いているジャーナリストと同列の扱いをうけるのか
はいそれで結構です、それに対しどう思われますか?
最初に出された質問と、上記の質問とでは、だいぶニュアンスがちがうように思いますが、これでもいいとのことですので、私の考えを述べさせていただきます。
たしかに、ネット上では、吉見義明氏をバッシングの対象にし、頭から否定する一方で、ネットやメディアに掲載されている「与太記事」を盲信する人があとを絶たないのは事実です。
しかし、他方で吉見氏のようなまともな研究者の言うことと、「与太記事」とをきちんと区別できる方も、ネット上にはたくさんおられるのも、また同様に否定できない事実です。
ですので、まず確認するべきは、ネット上にも、両者を同列に扱う人と同列に扱わない人と、両方が存在しているというのが現状だということです。
そうすると、こんどは、その一部の人が、吉見氏のような研究者の言うことを頭から否定するのに、メディアの「与太記事」を簡単に信じてしまうのは、いったいどうしてなのかという疑問が生じます。
しかし、これは答えるのがむずかしい疑問ですね。10年くらい前に小林よしのり氏の『戦争論』が流行ったとき、私は『史学雑誌』の回顧と展望欄に、なぜこれがベスト・セラーになるのか、歴史家としてはよく理解できないと書いたことがありますが、今でもよくわかりません。擬似科学がなぜ流行するのか、それと同種の問題なのかもしれません。
ただ、人は自分の信じたいことを信じるのだとしても、同時に「反証可能性」が担保されなければ、実証的な学問は学問たりえないと思います。もっとも、歴史認識や歴史観は現実「政治」の問題と地続きのところがありますので、自然科学のようにはいかないところがあるのは否定できませんが、しかしそれにしても、学問としての歴史学と「政治」としての歴史認識問題との関係は、これもやはりむずかしい問題です。
次ぎに、研究者は何をすべきなのかですが、まず第一になすべきは、専門家として批判にたえるクオリティの高い研究をおこない、その成果を発表することだと、私は考えています。zames_makiさんは、そんな成果は「存在しないも同然だ」と仰有るのですが、それをしなくなったらおしまいだと、私は考えています。
「与太記事」であれ、結局もとをたどれば誰か研究者の研究に源があります。その源になる研究を批判するには、やはり学問的な研究に頼らざるをえません。吉見氏と秦氏の関係を思い描いて下さればわかると思いますが。
さらに、zames_makiさんの、仲間内でだけ交換される成果は「存在しないも同然だ」という指摘にかかわる問題ですが、これは研究成果をどのようにして広めるかということですね。それは結局はメディアの問題です。メディアがどういう方向性をもつ研究に着目し、発掘し、報道するかによって、大きく左右されます。そしてそれはメディアの問題であって、もはや学問研究の領域をこえています。
最後にネットとの関係ですが、余力がある研究者は、みずからの研究成果をネットで公開することで、一般の人にも目に触れる機会をつくることができるようになりました。しかし、公開したからといって、それで広まるわけでもありません。広まるには、別の要素がはたらく必要があります。
また、一部の研究者がそうされているように、ネット上での言論活動を積極的におこなうということも考えられます。しかし、すべての研究者にそれを求めるわけにもいかないでしょう。できる範囲で、ネット上で活躍されている方を支援するという方法(今私がやっているのがそういうことですが)もあります。しかし、実際にやってみると、これはこれでなかなかたいへんですね。
なんだが答えになっていませんが、とりあえずはこういうことで、ご勘弁を。
16:
nagaikazu
14
Re:Re:Re:誤解が生じる理由
takeo1219jpさんへ
微細な点をつつく質問をして申し訳なかったのですが、慰安婦問題には吉田証言など信憑性に疑念が持たれる情報があり、そうした情報と並列に並べることにより研究者の評価を落とす行為が発生していると思われるので、研究者にはなるべく曖昧な発言を避けていただきたいと不遜を承知の上で申し上げる次第です。
ご教示および、ご忠告ありがとうございます。つまり、こうではなくて、
たしかに人身売買と強制売春は、古今東西をとわず、世界中のいたるところにあります。しかし、国家機関がその構成員のための福利厚生施設として、性欲処理施設を設置し、そこで強制売春をおこなった、あるいは強制売春がおこなわれるのを容認していたというケースは、あまり他に例がないでしょう。
以下のように言うべきであったということですね。了解いたしました。
たしかに人身売買と強制売春は、古今東西をとわず、世界中のいたるところにあります。しかし、国家機関がその構成員のための福利厚生施設として、性欲処理施設を設置し、そこで強制売春をおこなった、あるいは強制売春がおこなわれるのを容認していたというケースは、どこにでもあるものではありません。
ところで恥かきついでに申し上げますと、Susan BrownmillerのAgainst Our Willですが、秦さんがたびたび言及されているのに、不勉強で目をとおしていませんでした。日本語訳も出ているのだから、もっと早くにインドシナ戦争でのフランス軍の移動野戦慰安所についても知っておくべきだったですね。
それで、これは細かいことなのですが、「移動野戦慰安所」の原語は何だったのでしょうか。この場合、原語というのは、フランス軍の使った名称(フランス語)とそれをSusan Brownmillerがどのような英語に訳したのか(英語)に両方をさしています。mobile comfort stationだとは思えないのですが。
われわれは日本軍がそのように名をつけたために、軍が設置した軍用性欲処理施設のことを「慰安所」ないしは「軍慰安所」と呼んでいますが、元来「慰安所」にはそういう意味はありません。Turkish Bathの和訳である「トルコ風呂」には、性的サービスをする施設という意味が、最初はなかったのと同じです。
ですので、フランス軍がどういう名称をつけていたのか、興味があります。
それから比較ということですと、一般的に言って、軍隊と売春業との関係は、以下のように類型化できます。
1.民間の売春業を規制する風俗警察権は一般の文民警察あるいは行政官庁に所属し、軍隊の構成員は一般の利用者と同じように私人として利用する。風俗行政の方針として公娼制がとられる場合も、とられない場合もある。
2.軍管理売春:民間の売春業を規制する風俗警察権の全部または一部を軍が行使するケース。営業の許認可のほか、いちばん重要なのは性病検査を軍が実施する。また、軍隊の構成員に対して軍が使用する売春施設を指定し、それ以外の売春施設の利用を禁止する。アメリカなどで見られたケース。
3.軍制の一部にくりいれられたケース:軍の編制内に性欲処理施設をとりこんでしまったケース。軍営売春といってもよい。この場合性欲処理施設は民間の施設ではなくて、軍の施設となる。よって、性欲処理施設に対する軍の風俗行政権は一般の行政的警察権ではなくて、軍の内部に作用する軍事指揮権の一端(軍事警察権)となる。
このケースは、性欲処理施設の運営を民間の業者に委託する場合と、軍が直営する場合とにわかれる。
日本軍においても、1933年に熱河で混成第14旅団がとったのは、2の軍管理売春でしたが、日中戦争期になると、3のケースが主となります。ナチス・ドイツは占領地では2と3を併用していたようですね。お示しのフランス軍の「移動野戦慰安所」はたぶん3だと思いますが、そのあとのベトナム戦争時のアメリカ軍の場合は、2だと思うのですが、いかがでしょうか。
17:
zames_maki
15
Re:Re:Re:Re:Re:Re:研究者とは誰か
18:
takeo1219jp
16
Re:Re:Re:Re:誤解が生じる理由
nagaikazuさん、お返事ありがとうございます。
なお、投稿14の「ヴェトナム戦争ではフランス軍もアメリカ軍も」の記述は、フランス軍に関してはインドシナ戦争ですので、誤りです。「ヴェトナムではフランス軍もアメリカ軍も」と訂正いたします。自分から苦言を呈しておきながら間違うとは恥ずかしい。
以下のように言うべきであったということですね。了解いたしました。
たしかに人身売買と強制売春は、古今東西をとわず、世界中のいたるところにあります。しかし、国家機関がその構成員のための福利厚生施設として、性欲処理施設を設置し、そこで強制売春をおこなった、あるいは強制売春がおこなわれるのを容認していたというケースは、どこにでもあるものではありません。
僭越な指摘に対応下さり、ありがとうございます。より適切な表現だと思います。
それで、これは細かいことなのですが、「移動野戦慰安所」の原語は何だったのでしょうか。この場合、原語というのは、フランス軍の使った名称(フランス語)とそれをSusan Brownmillerがどのような英語に訳したのか(英語)に両方をさしています。mobile comfort stationだとは思えないのですが。
申し訳ありませんが、原典に当たっているわけではないのでわかりません。
機会があれば調べたいと思います。尚、フランスのインターナショナルヘラルドトリビューンのサイトに次のような記述がありましたので、参考として紹介します(情報源http://en.wikipedia.org/wiki/Bordels_Mobile_de_Campagne)。
http://www.iht.com/bin/print_ipub.php?file=/articles/2004/04/01/edpringle_ed3_.php
There were also two "bordels mobiles de campagne," French mobile field brothels, with 18 Algerian and Vietnamese girls. When the siege ended, the puritan Vietminh sent the Vietnamese girls and their madame for "re-education," as happened to Saigon bar girls after 1975.
赤色の太字がフランス語、黒色の太字がそれに該当する英訳だと思います。ひどい意訳になりますが、移動戦場売春宿といったところでしょうか。(戦場の訳は通例battlefieldのため。)
なお、スーザン=ブラウンミラーの翻訳本は原著から5章割愛された抄訳本になっていますので、ご承知おき下さい。
それから比較ということですと、一般的に言って、軍隊と売春業との関係は、以下のように類型化できます。
1.民間の売春業を規制する風俗警察権は一般の文民警察あるいは行政官庁に所属し、軍隊の構成員は一般の利用者と同じように私人として利用する。風俗行政の方針として公娼制がとられる場合も、とられない場合もある。
2.軍管理売春:民間の売春業を規制する風俗警察権の全部または一部を軍が行使するケース。営業の許認可のほか、いちばん重要なのは性病検査を軍が実施する。また、軍隊の構成員に対して軍が使用する売春施設を指定し、それ以外の売春施設の利用を禁止する。アメリカなどで見られたケース。
3.軍制の一部にくりいれられたケース:軍の編制内に性欲処理施設をとりこんでしまったケース。軍営売春といってもよい。この場合性欲処理施設は民間の施設ではなくて、軍の施設となる。よって、性欲処理施設に対する軍の風俗行政権は一般の行政的警察権ではなくて、軍の内部に作用する軍事指揮権の一端(軍事警察権)となる。
このケースは、性欲処理施設の運営を民間の業者に委託する場合と、軍が直営する場合とにわかれる。
日本軍においても、1933年に熱河で混成第14旅団がとったのは、2の軍管理売春でしたが、日中戦争期になると、3のケースが主となります。ナチス・ドイツは占領地では2と3を併用していたようですね。お示しのフランス軍の「移動野戦慰安所」はたぶん3だと思いますが、そのあとのベトナム戦争時のアメリカ軍の場合は、2だと思うのですが、いかがでしょうか。
分類のご教授、ありがとうございます。
僕もまだ不勉強でして断言し得ないのですが、ヴェトナムにおけるフランス軍、米軍のケースともに3であるように思います。スーザン=ブラウンミラーの翻訳書から続きを紹介します。
アーネットのみるところ(私は同意していないが)、性的便宜施設という点ではアメリカ陸軍のほうが海兵隊より「進歩」していた。一九六六年には、中央高原地帯のアン・ケに駐留する第一騎兵師団、サイゴン北方四○キロのライ・ケに駐留する第一歩兵師団、さらにはプレイク省に駐留する第四歩兵師団のそれぞれの基地周辺には、すでに正規の軍慰安所が設置されていたという(124)。
第一歩兵師団第三旅団の基地に付属するライ・ケの「レクリエーションエリア」は面積約四○○○平方メートル、周囲には有刺鉄線をはりめぐらされ、ゲートには憲兵が立っていた。保安上、出入りが許されるのは日中の明るい間だけで、構内にはホットドッグ、ハンバーガー、みやげ物などの売店もあったが、兵士たちの目当ては長さ三○メートルほどの細長い二棟のコンクリート・バラック――旅団を構成する四○○○人の兵士にサービスを提供する軍慰安所――にあった。どちらの棟にもバーが二ヵ所と楽団の演奏用ステージが一ヵ所、そしてカーテンで仕切られた小部屋が六○室あり、ここにヴェトナム女性が住み込みで働いていた。
小部屋には薄いマットレスを敷いただけの粗末なベッドが置かれ、壁の一方には着替えの服をかけておくための釘が一本。反対側の壁には『プレイボーイ』の見開きのページのヌード写真が、兵士の気をそそるように飾られていた。このライ・ケのレクリエーションセンターの女性たちは、派手なメーキャップに大きく膨らませた髪をスプレーで固め、アメリカ兵の好みに合わせてシリコンでバストを豊かにしている者も大勢いた。アーネットによれば、彼女たちのサービスは「手早くストレートで、いつも同じだった」。米兵は一回ごとに五○○ピアストル(米ドルで二ドルに相当)支払う。代金は必ずピアストルで支払われ、女性の手元に残るのは一回につき二○○ピアストルで、残りはさまざまな段階での支払いにあてられた。一日に八-一○回仕事をすれば、女性たちは客である兵士よりも多くの収入を手にすることができたとアーネットは言う(自由企業とは言いがたいのに、おもしろい説明をしてくれるものだ)。
ここで働いているのは、戦争で家や家族を失った難民や、もともとサイゴンで水商売をしていた女性たちだった。彼女たちは省知事の指示で集められ、ライ・ケ市長の指示によって町へ送り込まれた(二人は相応の分け前を受け取っていた)。こうした人員の調達や料金の取り決めなどの仕事をヴェトナム民間人に委ねた上で、アメリカ軍部は衛生面と安全保障面の管理統制を受けもった。「女性たちは毎週、衛生兵によって性病検査と消毒を受けていた」とアーネットは肯定的な口ぶりで話した。
陸軍基地内の慰安所(「罪の都」「ディズニーランド」「ブーム・ブーム・パーラー」などと呼ばれた)は師団長である陸軍少将の裁量で設置され、大佐クラスの旅団長の直接監督下におかれた。ヴェトナムにおける米軍慰安所が、陸軍参謀総長ウィリアム・C・ウェストモーランド、サイゴンの米大使館および米国防総省の三者の了承のもとに成り立っていたことは明白である(125)。
(124)詳細については、Charles Winick and Paul M.Kinsie, The Lively Commerce, Chicago: Quadrangle, 1971, pp.245-267. Stuart H. Loory, Defeated: Inside America's Military Machine, New York: Random House, 1973, pp.214-234も参照のこと。
(125)戦争中、軍慰安所の存在は報道記者たちの避けて通りたがる厄介な問題だった。この問題を扱った数少ない例としては、"U.S.Army Retreats, Allows Prostitutes on Vietnam Base"(UPI), Washington Post, Jan.24, 1972を参照。
スーザン=ブラウンミラー「レイプ・踏みにじられた意志」幾島幸子 訳 勁草書房 2000 pp.122-123
19:
nagaikazu
mobile field brothelsは移動野戦慰安所なのか
takeo1219jpさん
ありがとうございました。スーザン=ブラウンミラーのAgainst Our Willの日本語翻訳で、「移動野戦慰安所」となっているのは、原書では(たぶん)mobile field brothelsであり、さらにフランス語ではbordels mobiles de campagneらしいということですね。
私がこの文章のタイトルを「mobile field brothelsは移動野戦慰安所なのか」にしたのは、インドシナ戦争時のフランス軍のmobile field brothelsが、日中戦争・太平洋戦争時の日本軍の軍慰安所とはべつものであるということを言いたいのではなくて、はたして訳語として適当かという問題意識によるものです。実態において両者に大きな差はないと思っています。
mobile field brothelsを直訳すれば、野戦巡回売春宿あるいは野戦巡回娼館です。それを実態としては同じだから、日本語の訳として「移動野戦慰安所」とするのは適当なのかどうか。というのは、前にも書きましたが、「慰安所」という日本語にはもともと「売春宿」という意味はありません。日本軍が軍用売春施設に「軍慰安所」という名前を付けたために、「慰安所」の意味が変形してしまって、「慰安所」=「軍用売春宿」という語義が(現在では)確定してしまったのです。
占領軍を迎えるために日本政府が米軍向けの特殊慰安所を設置したのは有名ですが、特殊慰安所の業者の協会である特殊慰安施設協会の英語訳(といっても日本側がそういう命名をしたのですが)はRecreation and Amusement Asociationでした。すうすると、この特殊慰安所の英語名はRecreation and Amusement Station またはRecreation and Amusement Centerということになります。けっして、日本側は、Military Brothels (for Allied Forces)などというそのものズバリの用語を使ったのではありません。
また、日本軍が軍慰安所を設置した際に、「軍慰安所(事実上ノ貸座敷)」と認識されていたわけですが、公娼施設をさす当時の法令用語である「貸座敷」と使って「軍貸座敷」とか「軍娼館」とは命名しなかった。そうではなくて、当時の日本語の用法において性的な意味をほとんど有していない言葉である「慰安所」をそれに用いたのです。その結果、そこではたらく女性も本来ならば「軍娼妓」あるいは「軍酌婦」とよばれるべきであったにもかかわらず、「慰安婦」という本質をおしかくした命名がされたのでした。
つまり、日本軍はその本質があわらにならないように、「慰安所」「慰安婦」という体裁をつくろった言葉を使ったのです。しかし、結果は逆で、現在では「慰安所」「慰安婦」といえば、軍用の売春施設以外の意味をほとんどもちえません。これは日本軍により作り出された、新しい日本語だといってもよいでしょう。ちょうど売防法ができたあとの、「トルコ風呂」「トルコ嬢」と同じです。
なぜ、日本軍はそういう体裁をつくろった言葉使いをしたのか、その理由のひとつは、「慰安所」が軍の編成にくりいれられたからです。私の論文で指摘したように、軍の編成上は、野戦酒保に付属する慰安施設として慰安所は位置づけられます。そのような性格をもつ施設に、あからさまに「軍貸座敷」とか「軍娼館」という命名をするのは、軍としてはとうてい容認できないので、「慰安所」というぼかした名前になったのです。つまり、「慰安所」が「慰安所」と呼ばれ、「慰安婦」が「慰安婦」と呼ばれるようになったのは、それが軍の編成にくりいれられたからです。
前にあげた1933年の混成第14旅団の時点では、まだその点があいまいであり、「軍慰安所」とは命名されるにいたっていません。そこではたらく女性も「娼妓」という通常の名前でよばれていました。
クリスタ・パウル『ナチズムと強制売春』の日本語訳者はその「あとがき」で、上記の点にふれています。この訳者は、ナチスドイツはその軍売春施設を「現在もドイツで一般に使われているBordellという言葉で呼んだ。巷間にあるのと同様の施設としてそれを設けることを意図したのである。だから同じように国策の強制売春施設といっても、Bordellを「慰安所」と訳すのは適切でないだろう」として、「国防軍用売春宿」「SS用売春宿」と訳し、「国防軍慰安所」「SS慰安所」という訳語は採用しませんでした。
この訳者は、日本軍の「慰安所」および「慰安婦」という言葉については、その「言葉を創出することにより、軍の売春施設を天皇の強権の庇護下にある特別のものとして巷間の売春施設と区別し、強権を行使して運営を自他ともに認めさせ、かつその実態を隠すよすがともした」と書いています。つまり、「慰安所」という語には「実態を隠す」という面があり、そのような体裁をつくろうことすらしなかったナチスとは、実態において同一であっても、それを設けた側の性に対する意識がかなりちがっているという認識をもっているわけです。
私は、この考え方のほうが、安易にmobile field brothelsを移動野戦慰安所と訳すよりも評価できるのではないかと思います。
もっとも、誤解をうまないように、念をおしておきますと、実態としての慰安所がナチスドイツのそれやフランス軍のそれと異なる特殊なものであったと言いたいのではありません。
なお、問題はフランス軍もナチスドイツと同様に、軍の公式の名称としてbordels mobiles de campagneという言葉を用いていたのかということです。もし、これが公式の名称だとして、それを使うことが軍にとって少しもまずくはなかったのか、そのあたりのことが関心をよびます。
20:
zames_maki
秦郁彦は研究者なのか?
21:
nagaikazu
20
Re:秦郁彦は研究者なのか?
>>具体的な人間の評価をして見ましょう。秦郁彦は「慰安婦と戦場の性」を書きましたが、その内容は慰安婦の研究とは言えないでしょう。彼は元慰安婦に1人も会っていないし、その証言から慰安婦がどの様な存在であったか描き出そうとしていない。
私も慰安婦について論文を1本書きましたが、元慰安婦の方とはどなたとも会っていませんし、論文では元慰安婦の方の証言をまったく使用していません。もし、それが研究者としての条件であるならば、私も研究者とはいえません。
秦さんは多くの学術的著作を公表されている、立派な研究者です。そうであるからこそ、彼のこの問題に関する学説が、安倍首相の発言や読売新聞の論説や池田信夫氏のブログの主張の根拠とされるのです。ですので、問題とすべきは、彼が研究者であるかどうかではなくて、彼の研究および学説の妥当性でしょう。そして、具体的に慰安所および慰安婦についての秦氏の学説を学問的な手続きにしたがって批判しないと、秦氏を批判したことにはならないと思います。
秦氏の学説で、上記の言説の根拠とされている主要な論点をあげれば、
1.慰安所システムは戦地公娼制あるいは公娼制の戦地版であるという説
2.日本軍が組織的な慰安婦の強制徴募策を採用していた場合のみ、日本政府に法的責任が発生するのであり、それ以外の場合には責任はない。そして、そのような強制徴募策が採用されたことを示す事実はない。よって日本政府に法的責任はない、という責任解釈。
であり、あと付随的に、
3.慰安婦の総数は数万規模であり、民族構成も日本人がいちばん多かった。
4.慰安婦の待遇は給与面を含めて、通常の公娼制度なみかそれよりもよかった。
というものがあげられるかと思います(ほかにもあるかもしれませんが)
私が自分の論文でとりあげたのは、主として1の問題です。軍慰安所システムは、たしかに公娼制度を前提とし、それを下敷きにしているが、しかしそれが軍の組織であった点で、公娼制度の枠をこえている(軍慰安所は公娼施設ではありえない)というのが、私の論点であり、それを内務省の資料と軍の規定等の軍資料および軍人の日記や回想を材料に実証したつもりです。
秦氏は軍事史の専門家なのに、軍慰安所が軍の後方組織として軍の編成にくみこまれていたという事実を、意図的にか無意識なのかはわかりませんが、明らかに無視しています。これは、私は問題だと思います。
22:
zames_maki
21
Re:Re:秦郁彦は研究者なのか?
23:
noharra
3
中国山西省・戦場での日本兵〜田村泰次郎の戦争文学から〜
女たちの戦争と平和資料館 でシンポジウムと読書会があるそうです。
http://www.wam-peace.org/main/modules/bulletin/index.php?page=article&storyid=41
田村はもちろん一度、フェミニストにボコボコに言われるべきなのですが、その先の再評価をどうするかが興味深いと思っている。
3.1wamシンポジウム★
投稿者 : admin 投稿日時: 2009-02-12 (15 ヒット)
行動と意識を浮き彫りにします。どうぞふるってご参加ください。
今回は、直前に読書会も企画しています(このご案内の最後に場所と日時を記載しています)。
読もうと思ってて、ついつい時間が経っちゃった方も、「田村って誰?」という
方も、この機会にどうぞお気軽にご参加ください!
♪転送大歓迎♪
■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□
日時:2009年3月1日(日)14:00〜17:00
場所:早稲田大学国際会議場 第1会議室(3階)
参加費:1000円(維持会員カードをご提示の方は100円引き)
主催:アクティブ・ミュージアム「女たちの戦争と平和資料館」(wam)
■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□
半世紀もの沈黙をやぶり、中国の女性たちが日本軍による性暴力を訴え始めたの
は1990年代後半からですが、その実態は戦後復員した作家たちの作品にも描かれ
てきました。田村泰次郎は、山西省の慰安所や占領地での日本兵の'性'を克明に
描いた数少ない作家でした。今回は田村の戦争文学を通して、戦場での日本兵の
行動と意識を浮き彫りにします。
■パネリスト━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
1967年神戸生まれ。専門は近代日本文学。北村透谷やプロレタリア文学とともに
田村泰次郎研究で、今年『田村泰次郎の戦争文学〜中国山西省での従軍体験から』
(笠間書院)を上梓。『田村泰次郎選集』(全5巻・2005年/日本図書センター)
を編集。
■彦坂 諦(作家)
1933年仙台生まれ。『男性神話』(1991年/径書房)では、田村泰次郎が描く戦
場での男の性のありようを具体的に分析。シリーズ『ある無能兵士の軌跡』(全
9巻/柘植書房新社)、『九条の根っこ』(れんが書房新社)ほか。
■石田 米子 (山西省・明らかにする会代表。岡山大学名誉教授)
1935年東京生まれ。専門は中国近代史。1996年より山西省盂県の性暴力被害女性
たちの裁判支援と現地調査に取り組む。『黄土の村の性暴力〜大娘たちの戦争は
終わらない』(共著・2004年/創土社)ほか。
1950年東京生まれ。山西省・明らかにする会のメンバーで『黄土の村の性暴力』
に「田村泰次郎が描いた戦場の性」を執筆。
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
田村泰次郎(1911〜1983年)
1940年に召集され、山西省陽泉の旅団司令部宣伝班に配属された。
「肉体文学」作家とされているが、戦場での日本兵を描いた『肉体の悪魔』
『春婦伝』 『裸女のいる隊列』 『蝗』などで、凄惨な戦争の実態を描いた。
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
★wam de dokusho★
田村泰次郎の戦争小説 読書会
日時:2009年2月27日(金)18:30〜21:00
場所:wamオープンスペース 資料代:500円
司会&報告:池田恵理子 特別ゲスト:彦坂諦さん
特別展シンポジウムを前に田村泰次郎の作品を読み合わせ、語り合ってみません
か。参加希望者は、『肉体の悪魔/失われた男』(2006年/講談社文芸文庫)を
お読みください。この文庫本にはタイトル作品の他に、『蝗』、『渇く日日』、
秦昌弘さんの解説も入っています。
24:
noharra
なかった派対処法
「角の三等分屋」への対処法に学ぶ
http://puzhai.cocolog-nifty.com/zazhi/2007/05/post_c700.html
25:
noharra
なかった派対処法
「角の三等分屋」への対処法に学ぶ
http://puzhai.cocolog-nifty.com/zazhi/2007/05/post_c700.html
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