日常生活では、どんな店屋の主人でもしごくあたりまえに、ある人が自分がこうだと称する人柄と、その人が実際にどういう人であるのかということを区別することぐらいはできるのに、わが歴史記述ときては、まだこんなありふれた認識にさえも達していないのである。それは、あらゆる時代を、その時代が自分自身について語り、思い描いた言葉どおりに信じ込んでいるのである。 『ドイツ・イデオロギー』
070525
目次
■ [memo][currency] 軍票による給与支払いについて

『変容し解体する資本主義』〝管理通貨制度″とは何か、そしてそれは歴史的に何を意味するか
林 紘義 著
http://members3.jcom.home.ne.jp/wing-pub/wing-pub-henyou.html
http://www10.plala.or.jp/mcg-nagn/report-3.htm
第9章 〝植民地通貨″の歴史的経験
――〝軍票″はいかに発行され、いかなる意義を持ったのか
1、 軍票および〝円系通貨″の概観
「満州事変」以降の日本の軍票を検討する。
戦争中の日本の財政は急速に膨張した。その圧倒的な部分は軍事費。
国家歳出総額:1931年=15億円 → 1937年=37億円 → 1944年=933億円
15年戦争とりわけ太平洋戦争の軍費は、ほとんど借金に名を借りた露骨な収奪。
一つは日本国内で発行された国債、もう一つは植民地の「借入金」
植民地通貨の三つの形態
② 軍 票:占領地で、軍費支弁(物資調達・給与支払い)のために金とも円とも
関係を切断されて発行された〝紙幣″(どんな正貨準備とも無関係)
③ 現地(植民地)の中央銀行券(「円系通貨」)[満銀券、聯銀券、南発券など]
いずれも兌換が出来ず、無制限に(とりわけ②③は徹底して)増発された。
軍票は「円系通貨」へ移行した。日本の帝国主義者はあまりに露骨な軍票に代えて、信用貨幣のヴェールをかぶった現地の中央銀行券を利用したが、軍票と同じだった。
それは、銀行同士の「預け合い」という欺瞞的なやり方を利用しつつ、軍部の要求するままに無制限に発行された。
■ [memo][currency] 軍事郵便貯金関連

第019回国会 大蔵委員会 第43号
昭和二十九年四月二十日(火曜日)
http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/syugiin/019/0284/01904200284043c.html
○苫米地委員 もしこの閉鎖機関の在外残余財産というものが、その閉鎖機関に帰属しており、それが運用されるものならば、局長の言われることは私は当然だと思うのであります。ところがこれはとられちやつてないのですよ。しかもとられちやつてないものの責任は、国家にある。国家がその機関に対して賠償すべきものである。それを賠償する方は口をぬぐつて知らぬ顔をして、お前の方へ預けたのだから出せ、これでは少し無理じやないでしようか。ただ多少なり援護のために出せというのなら、これは金融機関も喜んで出すだろうと思うのです。ただ金融機関、閉鎖機関を処理するためにこれを出せといつたのでは、これはりくつが通らないのが当然だと思う。同胞に対する同胞愛で出せというのならわかるのです。けれども法理ずくめで今度はこういうふうに出させるのだ、これでは私はどうも筋が通らないと思うのです。のみならず二十年の九月十六日に大蔵省はこういうものを出しております。「日本政府及陸海軍ノ発行セル一切ノ軍票及占領地通貨ハ無効且無価値トシ一切ノ取引二於テ之ガ受授ヲ禁止ス」さてそこで私はこれの内容を伺いたいのでございます。
○窪谷政府委員 これは当時占領下でございまして、占領軍の指令に基きまして日本政府が声明をいたしたものであります。内容と申しますと、今お読み上げになりましたことに尽きるのでございますが、通貨の内容といたしましては、軍票、これは陸海軍が発行いたしたものでありまして、軍用手票と申します。それから占領地通貨でございますが、儲備券でございますとか、聯合準備銀行の聯銀券でございますとか、南発券とか、そういう種類のものでございます。
○苫米地委員 そこで、こういうものを在外資産で払えというのなら、この南発券だとか聯銀券とか儲備券、これが外国で問題になつているのに、日本ではどうするつもりなんですかとかつて質問したところが、これは将来困るから速記録から消してくれというので消したのです。それでこれは無効にしてしまつたのですよ。それであるのに、日本の関係機関にだけ今になつて法律を改正して、これは有効なんだ、こういうことをやつて、この問題が外国から持ち出されたら、朝鮮銀行券だけの問題じやありませんよ。日本は破産してしまいますよ。破産してもかまわないつもりでこの法案をお出しになつたのですか。
○窪谷政府委員 そういうことは全然考えておらないわけでございます。当時日本に送金をいたしましたもので未払いになつておるもの、それから外地で金融機関が預金を受けたものというようなものだけを問題にしておるのであります。南発券等をこの際全部有効化するというような考え方は全然ないわけであります。
○苫米地委員 問題にしないと言われますけれども、こういう通貨で預金されておるのです。日本に送金もされておるのです。しかも終戦後に日本に送金されたものは外貨建のものがたくさんある。しかもここでわれわれがしつかり考えなければならぬことは、在外公館が在留民の引揚げのために金を貸してくれといつて借り上げた。ところがずるい連中はこの借上げに応じないで身がつてに外貨建の金を持つておつた。それを終戦後にこの無効宣言があつたのにどんどん日本に送つて来ておる。しかも終戦後に送られて来た金に対して、今度の政府の換算率を見ると、公館の借上げよりはるかに優遇しているが、これはどういうわけですか。
○窪谷政府委員 送金為替は、現地の金融機関に送金を依頼いたしまして、終戦当時に内地に送金されたものであります。これにつきましては、在外公館の換算率よりも有利な率を使つております。それはその送金当時に行われておりました実効換算率によつておるわけであります。それ以外の預金につきましては、大体在外公館借入金の処理の場合の換算率と同様のものを使つておるのでありまして、全般的に在外公館の率よりも非常にいいものを使つておるというわけではないのでございます。
○苫米地委員 それがあるので陳情が出て来ておるのです。そこであの換算率はどういう基準でおきめになつたか、それを伺いたいのです。
○窪谷政府委員 これは当時為替管理を日本政府もやつておりましたので、そのときにすでに現地におきましては相当のインフレーシヨンが進行しておつたのでありまして、単純に公定のレートだけで換算をいたしましたのでは、貨幣の交換としては非常に不適当であるということから、為替管理法に基きまして措置をやつたのであります。その場合に公定的なレートのほかに、実効的なレートを使つておつたのであります。そのときの実効的なレートを基準にしてその算出をしたのであります。その場合に、小額債権をできるだけ優遇した方が適当であると考え、また当時におきましても、送金につきまして、たとえば家族の生活費については優遇された率が適用されておりましたので、そういうことあたりを勘案して一応算定いたしたのであります。それから在外預金等につきましては、これはまだ現地の預金として残つておつたのであります。これらの点は、在外公館の借入金の場合と同様のレートを基準にすることが適当だろうということになつたのでありますが、在外公館の借入金の場合におきましては、当時借入れが行われました時期の物価の実勢をいろいろと資料によつて比較をいたしまして、その辺に基準を置いて算出された換算率であります。今回の措置におきましても、在外借入れのものにつきましてはその基準と同様の換算率とするのが適当であろうと考えておる次第であります。
○苫米地委員 終戦前のはお説の通りでいいと思うのでありますが、終戦後のは、これを適正にやるとしたら、非常なインフレーシヨンが起つて変なことになつてしまつているのですから、これは私はなかなか簡単に行かないと思うのであります。引揚者の持ち帰る金もしくは送金等については、十倍の積立金をせいとか、持帰り金について幾らとかいうような大蔵省からいろいろの通牒が出ておるのでありますが、終戦後にこれが持ち帰られたりいろいろなことをしたものが大分あるのでありまして、これらは、今度の措置ではどこでどういうふうにしてきめて行くのか、はつきりしない点がたくさんあるのであります。そこで海外に店を持つておつた金融機関だけがこういつた負担を負わせられるというのは非常に不公平だと私は考えるのであります。預金ということを申されますが、一口に言えば預金でありますけれども、そう簡単なものではないのであります。たとえてみれば、通帳だとか預かり証で発行店が内地の店舗である、だから内地の責任だ、こういうようなことも言われますが、事実上は外地店舗における外貨建預金であり、外貨表示の内地特別預金であるような場合もあるのです。こういうものに対してはどういうふうにお扱いになりますか。
○窪谷政府委員 在外預金はもちろん現地通貨建てになつておるのが大部分でございます。それは、今回の法律によりまして処理されるものと考えております。ただその場合――あるいは御質問の御趣旨は、当時内地に送金をいたします場合に、積立金に該当しますものを特別措置預金といたしまして外貨建にいたした、この処置をどうするかというお話かと存じますが……。
○苫米地委員 それは特別措置で積立てをやらしたのですから、片がついているわけでしよう。
○窪谷政府委員 そういうふうに考えております。
■ [memo][currency] 軍事郵便貯金関連2

河宮信郎・青木秀和
http://eritokyo.jp/independent/nagano-pref/kawamiya-aoki-col001.html
日清・日露戦争から第一次大戦そして第二次大戦に至る戦費の調達、つまり戦時国債の購入に郵貯・簡保の資金が総動員された。政府が全戦費を税金でまかなおうとしたら、いかに軍国主義的に教育された国民でも怒る。大戦争では、全所得を徴収しても足りないからである。戦費は、「借り倒し」を前提とした借金でまかなうしかない。
各戦争における総戦費と一般会計歳出(通常の政府予算)の比をとると、日清戦争で 3.74倍、日露戦争で 4.15倍、日中/太平洋戦争で 9.16倍であった。
今次大戦では、戦費を郵貯・簡保・年金、銀行・生保からの借り入れと国債の日銀引き受けでまかなった。
郵貯・簡保・年金基金はあげて戦時財投にまわされ、すべて消尽した。郵政資金で造った兵器は太平洋の藻屑となり、軍需工場は空襲で破壊された[『数字でみる日本の100年』国勢社、1991、10章]。
戦争継続の財政基盤は税金よりも郵貯・簡保に依存していた。そこを経由して、政府が国民に払った金がまた政府に戻るからである。たとえば、兵士の給与が「軍事郵便貯金」に入ると、戦時国債を経て、兵器生産や兵士給与(本人分を含む)に回った。
これでは兵士が自費で戦争していたようなものではないか。税金ではこのような二重三重の使い回しはできない。
敗戦で戦時財投は当然返済不能になり、郵貯・簡保も破産した。じつをいうと、この「破産」は開戦前、軍需投資にフル動員された時点(1930年頃)ですでに運命づけられていた。
■ [memo][currency]

The Global History of Currencies (GHOC)
An Exclusive Service of Global Financial Data
http://www.globalfinancialdata.com/index.php3?action=showghoc&country_name=JAPAN
Both Korea and Taiwan issued currencies set at par to the Japanese Yen while they were occupied by Japan, and during World War II, Japan established currencies for each of the territories it occupied. Japan created the Military Yen, or Gumpyo (XJPM), set at par to the Japanese Yen. Japan occupied the territories of Brunei, Burma, Hong Kong, Malaya, Netherlands Indies, North Borneo, Philippines and Sarawak.
During the Second World War, French Indochina (Cambodia, Laos, and Vietnam) and Thailand, though occupied by Japanese troops, did not have Japanese occupation currency; rather, they paid a kind of ransom by creating domestic currency and giving it to Japan to pay for local expenses. In Burma, Hong Kong, western Indonesia (Sumatra and Java), and the Philippines, the Yokohama Specie Bank acted as the issuing agent of occupation currency and the de facto central bank. The Bank of Taiwan had the same capacity in Oceania and eastern Indonesia.
The Bank of Japan was made the central bank for the Greater South East Asia Co-Prosperity Sphere by a Japanese law of July 1942, but Japanese occupation currencies were not officially all pegged to one another and to the yen until 1943, when the rate was established at 1 Japanese yen = 1 military yen (China) = 1 Burmese rupee = 1 Javanese gulden = Malayan $1 = 1 Philippine peso = 1 Thai baht = 2 Japanese Oceanic shillings, and 1 Indochinese piastre = 0.976 Japanese yen (Bányai 1974: 8). On 1 April 1942, Japan opened the Southern Development Bank (Nampo Kaihatsu Kinko), which had its headquarters in Tokyo and, from 1 July 1942, a primary regional office in Singapore (renamed Shonan by the Japanese).
The Southern Development Bank became the official central bank of the Japanese occupation at various dates in 1943 and 1944 for Malaysia, Indonesia, the Philippines, and Singapore, but this was mainly an administrative change. Notes continued to be printed with the same appearance and the Yokohama Specie Bank and Bank of Taiwan continued as the agents for issuing occupation currency and regulating other banks. Although these currencies were part of a currency zone based on the Japanese yen, convertibility between any pair of currencies was restricted. Taiwan, Korea, and Manchuria were also parts of the Japanese yen currency zone through their older pegs to the yen.
The Japanese government issued banknotes in each of the countries it occupied during World War II. The notes were issued at par with the local currency, but due to the excessive issue of these banknotes, they quickly depreciated in value. Local currencies included the Philippines Gumpyo Peso (PHJ), Netherlands Indies Gumpyo Gulden (IDDJ), Netherlands Indies Gumpyo Roepiah (IDDR), Malaya Gumpyo Dollar (MYAG), Burma Gumpyo Rupee (BUG), Hong Kong Military Yen (HKG), Oceania Gumpyo Pound (XOGP), and the French Indochina Military Yen (ICFG). See each of these countries for information on the occupation currencies issued by the Japanese.
The Japanese also issued several currencies during their occupation of China, mostly tied to the Japanese Yen in the beginning. The Central Bank of Manchukuo under the Japanese puppet government issued Yuan banknotes (CNMY) tied at par to the Japanese Yen. The Central Bank of Inner Mongolia (Meng Cheng Bank) issued a separate currency for Mongolia (CNJM) that was set at par to both the Manchukuo Yuan and Japanese Yen.
When the Japanese invaded the rest of China, they issued separate currencies for northern China and for southern China, as well as a Military Yen. The Federal Reserve Bank of China issued the Northern Chinese Dollar (also known as the Peking Dollar, Tientsin Dollar) (CNJP). Northern China had refused to send its silver reserves to the Nationalist government under the 1935 monetary reform, and autonomous coins and banknotes were issued in 1936 prior to the Japanese invasion. The Northern Chinese Dollar was set at par to the Japanese Yen, and later set at 1 Northern Chinese Dollars equal to 3.8 Nanking Dollars.
The Japanese set up the Central Bank of China was set up in Nanking after they invaded southern China. The Nanking Yuan were equal to one-fourth Military Yen and were exchanged at the rate of 1 Nanking Yuan equal to 2 Chinese Dollars after occupation.
All the Japanese currencies issued in occupied territories became worthless after the Japanese lost the war, though citizens were usually allowed to redeem some of them into the local currency, though usually at a discount to their face value.
■ [memo][currency] 大阪毎日新聞 1942.7.16(昭和17) 南方へ邦貨携帯 現地軍で厳重に処罰

新聞記事文庫 通貨問題(1-056)
南方へ邦貨携帯
現地軍で厳重に処罰
南方建設の逞しき進展とともに最近南方諸地域への渡航者が漸次増加を示しているがこれらの渡航者の中には邦貨をそのまま携帯して現地で使用するため現地の通貨工作に重大な支障を来しつつある現状にかんがみ、今回現地軍では邦貨使用者を発見次第厳重に処罰するとともに携帯邦貨を没収することに決定した、もともと邦貨の海外携帯は為替管理法で原則として禁止され、違反者は処罰されることになっていたものである
今後南方占領地域に渡航するものはかならず内地の港湾あるいは飛行場出発に際しその地の日本銀行(代理店および軍票引換所を含む)で現金を所要の軍票と交換することが必要である、なお携行が許される金額は千円までで、二百円までは大蔵大臣の許可を要しないが二百円を超過する金額は大蔵大臣の携帯許可書がなければ交換しない