2:
noharra
裁判の言葉
裁判の言葉たちは信じられないほどやせ細っている。
(1)裁判提訴が闘争の問題点を闘争現場を越える広い場へ拡大し、その波動を闘争現場へ還流させうる時には意味がある。(ただし、現在の裁判制度や裁判官の良心を無批判的に信頼して勝訴を期待するのは論外であり、結果的に勝つためにもこれは鉄則である。)
(2)
略
(3)大学闘争とよばれるものの特性の中でこの項目と関連するものを指摘すると、問題点をとらえる方法自体の情況性や自らの関わり方を問題点に繰り込まざるをえない構造に出会ってしまうことと、発端の問題点を追求する過程が新たな問題点を作りだしていくことである。従って、発端のレベルで裁判提訴に意味があるかどうかを固定的に判断するのではなく、裁判提訴を媒介~逆用して何を作りだしていくかということを常に構想している必要がある。この場合、波及効果の範囲を事件の幅だけでなく、可能な限り広く深い領域との関連で構想し、成果を開示していくことが望ましい。
10年を費やして最高裁から「NON」という一言を貰うためなら、わたしの人生とは何だったのか? いままでに数千人(以上)の人たちがそう自問した。
その問いに対する答え(へのきっかけ)が上記にあるかもと思い、突然だが引用した。
追記:上記「裁判提訴への提起」全文は下記にあります。
3:
noharra
原告(郭喜翠、侯巧蓮さん)
■
mescalito mescalito 『mescalito=swan_slabです。おひさしぶりです。
新しいはてなグループ勉強させていただいております。
について。
訴訟の通称に慰安婦という言葉が使用されていますが、原告は慰安婦ではなかったので注意が必要です。原告の主張の一部を紹介します。
,「日本軍の組織に対応して,日本軍の大隊以上の司令部のおかれた中都市や大都市には必らず日本軍兵士用の『慰安所』がつくられた。しかしこうした公認の “強姦所”が一方に存在したことによって,山間の拠点に配置された将兵は自前で『慰安所』的な場所をつくり,女性たちを周辺の村々から拉致してきて監禁,輪姦することを何の問題も
感じずに行うことになった。本件はこの面からも,全軍に『慰安所』をくまなく作り,兵士に性暴力を公認した日本軍そのものの責任が問われなければならないのである。」(東京高裁判決正本22頁)
つまり、この訴訟の原告は、従軍慰安婦制度の間接的な犠牲者であると認識しているのです。非常に考えさせられる主張であり、それ自体独立した論点といえますが、慰安婦の狭義の強制の一例とはいえないので注意しつつ引用する必要がありそうです。』
noharra noharra 『mescalito=swan_slabさん ごぶさたしておりました。
コメントありがとう。
http://www1.jca.apc.org/vaww-net-japan/slavery/courtcase.html
http://blog.livedoor.jp/suopei/archives/cat_621773.html中国人戦争被害者の要求を支える会:「慰安婦」訴訟 を参考にすると
提訴 1995/8/07
控訴 2001/6/
原告 李秀梅、劉面換、周喜香、陳林桃さん
提訴 1996/2/23
地裁判決 2002/3/26?29? 請求棄却(事実認定あり。初めてPTSD認定)
控訴 2002/
原告(郭喜翠、侯巧蓮さん)
提訴 1998/10/30
地裁判決 2003/4/24 請求棄却(原告の主張通りの概括的事実認定。付言で 立法・行政による救済を提言)
控訴 2003
原告 万愛花ほか9名 ということのようですね。
『ガイサンシーとその姉妹たち』という本のp345に山西省孟県の地図があります。進圭という辺境の日本人駐屯地の南側に、宋庄村:郭喜翠、李庄村:李秀梅、羊泉村:劉面換、陳林桃、峡掌村:侯巧蓮という四つの村があって、それぞれから計5人の女性が連れ去れたとあります。
『ガイサンシーとその姉妹たち』という本または映画を見ればすぐに分かるとおり、彼女たちの被害はいわゆる「慰安所」的なものからも遠くギャングレイプの酷い奴です。訴訟のタイトルは上二つも「中国山西省性暴力被害者」にした方が実態にあっていたのではと思います。ご指摘のとおりですね。
引用された部分は、中都市では慰安所があった、全くそれがない荒涼とした駐屯地では実力でもっとひどいものを実力で作ってしまった。「本件はこの面からも,全軍に『慰安所』をくまなく作り,兵士に性暴力を公認した日本軍そのものの責任が問われなければならないのである。」と判決が断言しているというわけですね。たしかにそのとおりですね。
ところで「このような被害事例は慰安婦とは違う」とわたしも確かにそう思ったのですが、吉見-永井先生の定義によれば必ずしもそうではないのです。ノーモアさんのところでの議論をはてなグループに転写しておきますね。
http://ianhu.g.hatena.ne.jp/bbs/5/2
この点については議論の余地があると思うので、スワンさんの意見を、また聞かせてください。』
noharra noharra 『スワンさんへ 追伸
このごろ海老蔵さんという人が、国家の責任をどう考えるのかという議論のときに「近代法の常識」とかを得意そうに振り回していて、この人はどうも法律というものを学問的レベルまで身につけた人とは言えなそうだなと感じながら、法学部出身でありながら法学を一切勉強しなかったかなしさで、ばしっと反論できないでおりました。そんなときに思い出すのがスワンさんで、スワンさんがいればびしっとした議論をしてくださるのになあ~と、思ったりしていたのでした。
また、戦前の公権力行使による人権の被害について国は責任を負わないとする国家無答責原則についても、具体的事実をふまえ、正義公平の観点から余りにも残虐な加害行為について、又被害が甚大な事件までこの原則を適用することは許されないという考え方が有力に主張されています。
このあたりを勉強するのに適当な参考文献とかあれば教えてください。』
mescalito mescalito 『>「本件はこの面からも,全軍に『慰安所』をくまなく作り,兵士に性暴力を公認した日本軍そのものの責任が問われなければならないのである。」と判決が断言している
あ、いやいや判決ではなく、控訴人の弁論においてです、ここ注意(汗。
国家無答責原則についての挑戦は学説や下級審レベルでなされていますね。
私も不勉強なので文献といわれるとぱっと出てきません。ちょっと今忙しいのでまたいずれ(汗
この問題については、私自身は「どこの国も似たようなことをやっていたじゃないか、例えばアメリカ」という論点に関心があります。http://d.hatena.ne.jp/mescalito/20070321/p1
4:
noharra
今日のニュースから
■ 原告の郭喜翠さんら敗訴
中国人元慰安婦も敗訴確定 「個人請求放棄」と最高裁 04月27日(金)
【写真】 中国人元従軍慰安婦(写真)の敗訴が確定し、最高裁前で「不当判決」の垂れ幕を掲げ抗議する弁護士ら=27日午後
中国人元従軍慰安婦とその遺族が国に損害賠償などを求めた訴訟の上告審判決で、最高裁第1小法廷は27日、2審東京高裁判決の請求棄却の結論を支持、原告の上告を棄却した。原告敗訴が確定した。
才口千晴裁判長は、同日午前に中国人元労働者の敗訴が確定した西松建設強制連行・労働訴訟の判決と同様「1972年の日中共同声明で中国人個人の賠償請求権は放棄され、裁判では行使できない」と判断した。
しかし西松訴訟判決のように「自発的救済」を促す付言はなかった。
判決によると、原告の郭喜翠さん(80)ら2人(うち1人死亡)は13歳と15歳当時の1942年、旧日本軍の兵士に拉致され、軍施設などに監禁された上、1カ月から数カ月間、連日乱暴された。
郭さんらは96年に提訴。1審東京地裁は明治憲法下の「国家無答責(国は不法行為の賠償責任を負わない)」の法理などを理由に、2審は日本と中華民国(台湾)が締結した日華平和条約(52年)を根拠に個人請求権を否定し、それぞれ請求を棄却した。
http://www.shinmai.co.jp/newspack/2007/04/27/CN20070427010005280101.htm
参考:http://d.hatena.ne.jp/Apeman/20070428/p1
4つの訴訟での請求権を否定したのだ。
■ 「個人請求」に幕を引いた最高裁
http://www.yomiuri.co.jp/editorial/news/20070427ig90.htm
戦後補償裁判 「個人請求」に幕を引いた最高裁 : 社説・コラム : YOMIURI ONLINE(読売新聞)
戦後補償裁判 「個人請求」に幕を引いた最高裁(4月28日付・読売社説)
戦時中、日本に連行され、過酷な労働を強いられたとする強制連行訴訟で、最高裁は、日本側への戦争被害の賠償請求について「1972年の日中共同声明により、中国人個人は裁判上、訴える権利を失った」との初判断を示した。
中国人女性2人が、旧日本軍兵士に監禁、暴行されたとして、日本政府に損害賠償を求めた訴訟でも、同様の判断を示し、中国人側の請求を退けた。
強制連行訴訟の1審は、中国人を働かせた建設会社の不法行為を認めつつ、不法行為の時から20年が過ぎると賠償請求権がなくなる「除斥期間」、時効を適用して、原告の訴えを退けた。
2審も不法行為を認めた。加えて「賠償義務の免除は正義に反する」として、時効をあえて適用せず、建設会社に請求通りの賠償を命じた。
建設会社の上告を受けた最高裁は、中国人個人に賠償請求の権利があるかどうかに絞って審理を行った。
相次ぐ訴訟で、下級審の判断が分かれたため、明確な判断基準を示す必要があると考えたのだろう。
日本に関する戦後処理の基本的枠組みは、1951年に調印されたサンフランシスコ平和条約で定められた。
日本と連合国の各国が、個別に戦争賠償の取り決めをした後は、個人の損害賠償請求権を含め、戦争で生じたすべての請求権を日本と連合国側が互いに放棄するというものだ。
日中共同声明は「中華人民共和国政府は、日本国に対する戦争賠償の請求を放棄することを宣言する」としているが、中国人個人の賠償請求権の有無については、明確な記述がない。それが訴訟の背景にあった。
この点に関して、最高裁は、日中共同声明は実質的には平和条約であり、サンフランシスコ平和条約と同じ枠組みで締結されたと結論付けた。
国際社会の常識に照らして、妥当な判断だろう。
平和条約とは、戦争状態を完全に終結させ、請求権などの問題を後に残さないために締結するものだ。
27日の強制連行訴訟の判決も、補償問題を個人の賠償を求める裁判に委ねたなら、「どちらの国家または国民に対しても、平和条約締結時には予測困難な過大な負担を負わせ、混乱を生じさせるおそれ」がある、と指摘した。
中国人による戦後補償裁判は、約20件に上る。今回の判決で、訴訟による賠償請求には最終的な決着がつけられた。
(2007年4月28日1時20分 読売新聞)
■ 平和条約等による請求権消滅
中国人強制連行訴訟:原告敗訴(その2止) 「請求権消滅」前面に 最後の「壁」厚く
◇戦後補償、最後の「壁」厚く
強制連行を巡る27日の最高裁判決は「裁判で賠償を求めることはできない」と初判断した。戦後補償に詳しい識者からは賛否両論が出た。
戦後補償を求める裁判には三つの壁がある。47年の国家賠償法施行前の国の行為は責任を問えないとする「国家無答責」の壁と、時効や除斥期間という「時間の壁」。そして、平和条約などによって国家の賠償義務が消滅したとする「請求権の壁」だ。
90年代以降、日本軍や日本企業の戦時中の行為で被害を受けたとして、強制連行の被害者や元従軍慰安婦らが訴えた戦後補償訴訟は、少なくとも50件を超えている。勝訴が確定した例はなく、大半が国家無答責や時効・除斥を理由に退けられてきた。戦後補償裁判で初の勝訴とされる山口地裁下関支部判決(98年)は、政府の戦後の対応を違法としたものだ。
ところが、中国人強制連行訴訟で、企業に初の賠償を命じた福岡地裁判決は「除斥期間の適用が著しく正義に反するときは適用を制限できる」と述べて時間の壁を突破。さらに、新潟地裁判決(04年3月)は国家無答責の主張を退け、戦時中の強制連行を理由に国に初の賠償を命じた。
こうした下級審の判断の流れを受け、国や企業は「原告の請求権は放棄された」との主張に力を入れるようになる。05年に入ると、名古屋地裁や東京高裁で「請求権消滅」を前面に出す判決が出され、原告側に請求権という最後の壁が大きく立ちはだかった。
サンフランシスコ平和条約、日中共同声明を根拠に裁判上の請求権がないとしたことは評価できる。しかし、訴権はないが実体的な個人請求権はあるとしたことは国際的に通用しない。企業などに被害救済の努力を促しているが「日本の裁判所はこの問題に関して介入できない」と言ったことになる。司法権の行使を放棄したもので「逃げた判決」といえる。
裁判で賠償請求できないという最高裁の判断は、個人の請求権それ自体を失わせたということと内容上違いがない。救済される手段がないという点では全く同じだ。個人の賠償請求権を消滅させたとするサンフランシスコ平和条約の解釈は、一般論としてはありうる。しかし、戦争被害の中でも特に重大なものについては、個人の賠償請求権を失わせることはできないと解すべきで、今回の判断は適切ではない。
==============
1951年 9月 サンフランシスコ平和条約調印
65年 6月 日韓請求権協定締結
72年 9月 日中共同声明
97年 9月 強制連行で新日鉄が韓国人元徴用工の遺族に弔慰金を払い、企業初の和解
98年 4月 山口地裁下関支部が韓国人の元慰安婦訴訟で原告側の請求を一部認容。戦後補償裁判で初の勝訴判決
2000年11月 中国人強制連行の花岡事件で原告と鹿島の和解が東京高裁で成立
01年10月 オランダ人元捕虜訴訟で東京高裁が「賠償請求権は消滅した」と判断
02年 4月 福岡地裁が中国人強制連行訴訟で企業に初の賠償命令
04年 7月 広島高裁が西松建設に高裁として初の賠償命令。請求権消滅を否定
05年 3月 東京高裁判決が中国人元慰安婦の請求権は消滅と判断
07年 4月 最高裁が西松建設訴訟で中国人の請求権は消滅と初判断
毎日新聞 2007年4月27日 東京夕刊
http://www.mainichi-msn.co.jp/seiji/gyousei/news/20070427dde041040033000c.html
中国人強制連行訴訟:原告敗訴(その2止) 「請求権消滅」前面に 最後の「壁」厚く-行政:MSN毎日インタラクティブ
■ 中国は最高裁判決に「強烈反対」
「違法・無効な解釈」と反発=最高裁判決に「強烈反対」-強制連行訴訟で中国
4月28日0時1分配信 時事通信
【北京27日時事】中国外務省の劉建超報道局長は27日、西松建設強制連行訴訟をめぐる同日の日本の最高裁判決について「強烈な反対」を表明するとともに、「1972年の日中共同声明により個人の賠償請求権は放棄された」と初判断を下した最高裁の解釈は「違法であり無効だ」とする談話を発表した。
最終更新:4月28日0時1分
http://www.jiji.com/jc/z1c?k=200704/2007042701395
時事ドットコム:記事検索本文
西松建設強制連行訴訟最高裁判決に対する中国政府の対応。(裁判が違いますが、「1972年の日中共同声明により個人の賠償請求権は放棄された」判決への反発という点で共通するはずですので、載せておきます。)
毎日新聞の方が詳しかったので追加しておこう。
中国人強制連行訴訟:「最高裁の解釈は無効」 中国政府、強く反発
【北京・共同】中国外務省の劉建超報道局長は27日、中国人元労働者らが日本側に賠償を求めた訴訟で、最高裁が「日中共同声明で個人の賠償請求権は放棄された」と判断したことについて「最高裁の解釈は違法で無効」と強く反発する談話を発表、日本側に問題を適切に処理するよう要求したことを明らかにした。
中国人個人の賠償請求権問題で、中国政府がこれほど明確に日本側を批判したのは初めて。
局長は「中国政府が共同声明で、対日戦争賠償請求を放棄すると宣言したのは両国人民の友好のための政治的決断だった」と強調、日本側に誠実な対応を求めた。
中国側の弁護士協会や法律援助基金会など五つの関連団体も同日、北京で記者会見し「判決はでたらめだ」と強く抗議する声明を発表。「日本政府や関連企業の責任をあいまいにし、中国人戦争被害者の請求権を加害者側の意向に委ねた」などと批判し「政府や関連企業の責任回避を手助けした」と不満を表明した。
原告を支援してきた康健弁護士は「中日国交正常化35周年を迎え、両国関係が改善されつつある中で、日本側の歴史認識を体現した判決を期待していたのに」と残念そうに語った。
毎日新聞 2007年4月29日 東京朝刊
http://www.mainichi-msn.co.jp/seiji/gyousei/news/20070429ddm002040070000c.html
5:
nagaikazu
控訴棄却の理由
原告の方々の無念はさぞやと思いますが、ebizohさんと野原さんnomore21さんの議論との関係でいえば、最高裁は、ebizohさんのいう事件当時の法理であった、「明治憲法下の「国家無答責(国は不法行為の賠償責任を負わない)」の法理」によって棄却した第1審の判断を採用しなかったことになります。
そして第2審と同様に、事件当時には存在もしていなかったが、現在の日本政府を拘束している国際条約や協定(第2審では日華平和条約(52年)、今回は日中共同声明(72年)を根拠に、個人請求権を否定し、それぞれ請求を棄却したのでした。
これはどう解釈すればよいのでしょうか。私は法学にうといので何ともいえませんが、高裁および最高裁は、この事件について、「国家無答責の法理」は適用できないと判断したということでしょうか。もしも、適用できないと判断したとの推測が正しいのであれば、彼らがそう判断した法学上の根拠は何なのでしょうか。
6:
Apeman
4
Re:今日のニュースから
すでに自分のブログでも書いたことと重なりますが、最高裁の判断の法的妥当性についての検討はいったん脇においた上での私見をば述べさせていただきます。
原告の勝訴を望む気持ちはもちろんありましたが、最高裁に期待をかけねばならなかった時点で「個人補償をすべき」と考える人間は敗北していたのではないでしょうか。ドイツの個人補償も基本的には「法的に賠償義務を負うから」という理由で行なわれたわけではありませんでした。これを「法的義務があるという確認を回避して、とりあえず補償を行なった」と評価することもできるのでしょうが、逆に言えば「法的義務の有無とは別に、補償を行なうことを政治的に決断した」と評価することもできます。司法によって個人補償が実現するということは、言い換えれば多数派を占める「無関心派+反対派」を押さえて補償が行なわれるということであり、それは日本の司法にとっては輝かしい実績足り得ても、補償を受ける被害者にとっては心から満足のゆくものでありえたのだろうか? とと言うこともできるのではないでしょうか。
この判決によって、少なくとも中国の被害者に対しては日本は個人補償義務を負わないということが(国内的には)確定したわけです。むしろこれをテコとして、私たちは「義務」によらない補償を実現すべく行動することを考えるべきではないか、と思います。
7:
nagaikazu
5
Re:控訴棄却の理由(使用者責任の認定)
http://www.courts.go.jp/hanrei/pdf/20070427165434.pdf
第1事案の概要の4(1)に、次のように書かれてありました。
「4 原審は、次のとおり判断して、上告人らの請求をいずれも棄却すべきものとした。
(1)中華民国の当時の民法によれば、被上告人は、前記認定に係る加害行為につき、使用者責任としての慰謝料の支払義務を負ったと認められる。また、日本法上の不法行為責任についてみるに、国の公権力の行使に関してはいわゆる国家無答責の原則が妥当するが、上記加害行為は、戦争行為、作戦活動自体又はこれに付随する行為とはいえず、国の公権力の行使に当たるとは認められないから、国家無答責の原則は妥当せず、被上告人は、民法第715条1項に基づく損害賠償責任を負う。」
つまり、第2審の高裁は、この事案は「国家無答責の原則」に該当しないとみなし、それゆえ民法第715条の使用者責任により、日本国には損害賠償責任があると判断したわけです。ついでにいえば、民法第715条第1項には、但し書きがあって、「ただし、使用者が被用者の選任及びその事業の監督について相当の注意をしたとき、又は相当の注意をしても損害が生ずべきであったときは、この限りでない」と、使用者責任が解除される条件も規定されていますが、高裁はこの事案の場合この但し書きが適用できるとは判断しなかったようです。
このように高裁は日本国には、日中双方の民法からして損害賠償責任があると認定したうえで、国際条約により戦時賠償についてすべての請求権がすでに放棄されているとして、原告の請求を棄却する判決を下したわけです。
この判決の論理構造は、今回の最高裁の判決でも維持されています。異なるのは、請求権の放棄の条約上の根拠を日華平和条約から日中共同声明に移し替えた点です。
よって、日本の裁判所は、この事案に関しては、「国家無答責の原則」は適用できないとの判断をくだしたわけであり、日本国には使用者責任に基づく損害賠償責任があると認定していることになります。
ebizohさんの主張のかなりの部分が、日本の裁判所によって否定されているとみてよいでしょう。
8:
nagaikazu
6
Re:Re:今日のニュースから
Apemanさん、こんにちは。
いつも、Apemanさんのブログ(主に別館の方ですが)を拝見し、いろいろと学ばさせてもらっております。
今回の最高裁の判決は、慰安婦訴訟に関しては、日中共同声明の解釈をのぞけば、予想通りのものといえるかと思います。ですので、とりうべき可能性としては、Apemanさんのご指摘のように、
むしろこれをテコとして、私たちは「義務」によらない補償を実現すべく行動することを考えるべきではないか、と思います。
ということになるのだろうと思います。
ただ、同じような問題は、すでに政府調査の結果が公表され、河野談話が発表された時点で、政府筋も含めて、当時元慰安婦の補償問題に関心と関係をもった方々の間で意識されていたように思えます。
アジア女性基金の設立に賛成し、助力された方々の中には、戦時賠償の請求権放棄の規定が国際条約に盛り込まれているために、きちんとしたかたちでの政府謝罪と補償は実現不可能あるいは実現しえたとしても多くの時間がかかるとみて、その時点で実質的な補償(Apemanさんの言葉では「「義務」によらない補償」)の道としてこの便法をとらざるをえないと、その意味で「苦渋の決断」をした方が少なからずいたはずです。
そして、アジア女性基金の発足時、元慰安婦の支援者の中でも、これを認めるか、認めないかで、烈しい議論がありました。河野談話見直しが声高に言われる現在からすると、十数年前のことがちょっと信じられませんが、当時はそういう雰囲気だったのです。
そのアジア女性基金の活動もこの3月をもって終了しました。Apemanさんのいう「「義務」によらない補償」を考えるとしても、アジア女性基金が何であり、それはどのような意義があったのか、一度きちんと考えておかねばならない、気がいたします。
といっても、私自身には、それは手に余る大仕事ではありますが。
9:
nomore21
8
Re:Re:Re:今日のニュースから
nagaikazu様。御無沙汰しております。その節は御迷惑をお掛けしました。
ただ、同じような問題は、すでに政府調査の結果が公表され、河野談話が発表された時点で、政府筋も含めて、当時元慰安婦の補償問題に関心と関係をもった方々の間で意識されていたように思えます。
nagaikazu様には釈迦に説法とは存じますがあえて補足させて頂きますと特に「女性基金」の呼びかけ人のお一人でおられる大沼教授の考え方がapeman様の御意見と近いように思われます。大沼教授は
日本では国会議員が閣僚になって大東亜戦争は侵略ではなかったとか、植民地支配を肯定するような暴言を吐いては、辞任を繰り返している。これは、政府の問題というだけでなく、そういう議員を選ぶ国民の問題なのではないか。政府だけでなく、国民も侵略戦争や植民地支配の償いの気持ちを表し、国民と政府がともに醵金をする大規模な基金を作るべきだ
とか
日本でも韓国でも「公」は官が独占していて国民は単なる民でしかない国民がNGOやマスコミをとして公共的責任を果たす、ということがなかなか理解してもらえない(「慰安婦」問題とアジア女性基金 より)
という趣旨の発言をされていますよね。
しかし河野談話を無茶苦茶な論法で葬り去ろうとか、証言者を端から嘘吐きのごとく扱う政治家グループが一定の影響力を保持している現状を見て、被害者の方々がNGOやマスコミを通じて謝罪があったからと言って「それが国家を代表した謝罪である」として納得するのかどうか、やはり難しい部分があるのは否めないと思います。結局はそういう国内状況が挺対協を始めとする被害者団体の態度を硬化させ続けているわけでしょう。自民党も結局「NGOはしょせんNGOだから国家が謝罪したことにならない」ということで協力をしたわけですし。
政治では問題の解決の落としどころとしてよく「名を捨てて実をとる(或いはその逆)」という手法が好んで使われますが、こういう倫理的次元の絡んだ問題ではそれが往々にして「欺瞞的」ととられて上手く機能しないので、本当に難しいという気がします。
10:
nagaikazu
9
Re:Re:Re:Re:今日のニュースから
nomore21さん
nagaikazu様。御無沙汰しております。その節は御迷惑をお掛けしました。
こちらこそ、ご無沙汰です。どうされていたのか、心配しておりましたが、無事引っ越しもすんだようで、何よりでした。ひょんなことから、野原さんのご提案で、こういうグループができまして、私も参加することになりました。ebizohさんがお見えにならないので、どのように続けていけばいいのか、暗中模索の段階です。
特に「女性基金」の呼びかけ人のお一人でおられる大沼教授の考え方がapeman様の御意見と近いように思われます。
takeo1219jpさんが「日本における誤解と韓国における誤解と」http://ianhu.g.hatena.ne.jp/bbs/9/8 で紹介されたアジア女性基金の解散記者会見で基金を代表して講演された和田春樹さんも大沼さんと同じ立場であり、基金発足の際には、かずかずの非難があったにもかかわらず、コミットメントを決断されたと記憶しています。
ここに和田さんのお話が載せられています。
http://www.janjan.jp/government/0704/0704170950/1.php
河野談話とアジア女性基金は、nomore21さんのご指摘のように、政治的な解決策として、各種の妥協のうえに成立したものであるのは、まちがいないですが、あれから十年たった現状を見るとき、
まあ、今になって思えば、あのときの条件の中では、「アジア女性基金」は最善の解決策だったと私は思います。政府と民間が協力したということの最大のポイントは総理の“お詫びの手紙”でした。基金の関係者はこれが得られなければ全員が辞職する覚悟でした。橋本総理は考えに考え抜いた末に決断されました。総理の手紙が被害者に対して極めて大きな意味を持ったということは知られております。
こうして獲得した地平をアジア女性基金は守ってきました。歴代の総理は、小泉首相まで、お詫びの手紙に署名をして後退しませんでした。基金が事業を開始したのは、慰安婦問題に対する保守的な批判が高まっていくのと機を一にしていました、そのような右からの批判に抗して、基金は政府とともに、いわば“占領した高地”を守ってきたのであります。
という和田さんの言葉は、それなりの重みをもっているように思えます。
11:
noharra
7
Re:Re:控訴棄却の理由(請求権の壁)
請求権の壁などについて考えようとしてみましたが、苦手な分野なので、だらだら長いだけになってしまった。
(1)
http://ianhu.g.hatena.ne.jp/bbs/8/4#p3
毎日新聞による端的なまとめでは「三つの壁」がある。
α.47年の国家賠償法施行前の国の行為は責任を問えないとする「国家無答責」の壁と、
β.時効や除斥期間という「時間の壁」。
しかしながら数多くの裁判のなかで
αについては
しかしながら、国家無答責の法理は、旧憲法下における判例の所産にすぎず、当時でさえ有力な学説が批判を加えていたこの法理を、現憲法下において何らの悩みもなく日本の統治権に服していなかった原告ら中国人に適用することは、司法の職責を放棄するに等しいものである。
βについては
しかしながら、昭和40年8月末日の時点では、日中の国交が回復しておらず原告らは権利行使をしようにもできなかったのである。筑豊じん肺訴訟最高裁判決は、除斥期間についても、権利行使可能性の視点を明確にしており、判決はこの判断とも明らかに矛盾するものである。
などの批判が積み重ねられた。
それにより
しかし,2001年の劉連仁訴訟一審判決以来,福岡強制連行事件,毒ガス一次事件,新潟強制連行事件などでは,これら法的な「壁」を突破する判決が続々と言い渡されるようになってきました。これまで圧倒的に不利だった原告が,だんだんと国や企業を追いつめるようになってきたのです。
すると,このころから国は,「請求権放棄」論を主張するようになってきました。
(2)
で、このγについて詳しく見ると、前提はサンフランシスコ講和条約です。
14条(b)この条約に別段の定がある場合を除き,連合国は,連合国のすべての賠償請求権,戦争の遂行中に日本国及びその国民がとつた行動から生じた連合国及びその国民の他の請求権並びに占領の直接軍事費に関する連合国の請求権を放棄する。
http://www.ioc.u-tokyo.ac.jp/~worldjpn/documents/texts/docs/19510908.T1J.html
2001年にオランダ人元捕虜等損害賠償請求事件の東京高裁判決があった。
裁判所は、同条項をめぐるサンフランシスコ会議での日本代表団とオランダ代表団の交渉過程を詳細に検討した後、「連合国国民の個人としての請求権も、連合国によって『放棄』され、これによって、連合国国民の実体的請求権も消滅したと解するのが相当である」と判示した。この判決は最高裁においても維持されて確定した。
p32 No1321『ジュリスト』浅田正彦
その後、中国人慰安婦第2次訴訟判決(2005年)においては、「日華平和条約によって請求権は放棄された」とされた。
14条(b)について「(国民の)請求権自体を包括的に放棄する趣旨であったと解すべき*1」と述べたらしい。
(2) 日華平和条約11条は,連合国による賠償請求権等の放棄を規定したサンフランシスコ平和条約14条(b)に従うことを定めるところ,ここでいう請求権放
棄とは,外交保護権の放棄にとどまらず,請求権自体を包括的に放棄する趣旨であったと解すべきである。よって,第二次世界大戦の遂行中に日本軍兵士らによる上記加害行為から生じた中国国民である上告人X1及び亡Aの損害賠償請求権は,日華平和条約によって放棄されたと解すべきである。
それで今回の最高裁判決は理由を「日中共同声明によって請求権は放棄された」に変えた。
ホップ、ステップ、ジャンプという感じでそれぞれ飛躍がある。
判決文を読んでみても説得力を感じられない。
まず、判決は
サンフランシスコ平和条約の5項目を列挙する。
(14条(a)柱書き)(14条(a)1)(14条(a)2)(14条(b))(19条(a))
次に「日華平和条約」に触れ、「両国間に戦争状態の存在の結果として生じた問題はサンフランシスコ平和条約の相当規定に従って解決するものとすること(11条)等の条項」の条項の存在を指摘する。
で次が「日中共同声明」であるが
(1) 日中共同声明5項は,「中華人民共和国政府は,中日両国国民の友好のために,日本国に対する戦争賠償の請求を放棄することを宣言する。」と述べるものであり,その文言を見る限りにおいては,放棄の対象となる「請求」の主体が明示されておらず,国家間のいわゆる戦争賠償のほかに請求権の処理を含む趣旨かどうか,また,請求権の処理を含むとしても,中華人民共和国の国民が個人として有する請求権の放棄を含む趣旨かどうかが,必ずしも明らかとはいえない。
わけである。
(2) しかしながら,公表されている日中国交正常化交渉の公式記録や関係者の回顧録等に基づく考証を経て今日では公知の事実となっている交渉経緯等を踏まえ
て考えた場合,以下のとおり,日中共同声明は,平和条約の実質を有するものと解すべきであり,日中共同声明において,戦争賠償及び請求権の処理について,サンフランシスコ平和条約の枠組みと異なる取決めがされたものと解することはできないというべきである。
ウ以上のような日中国交正常化交渉の経緯に照らすと,中華人民共和国政府は,日中共同声明5項を,戦争賠償のみならず請求権の処理も含めてすべての戦後処理を行った創設的な規定ととらえていることは明らかであり,また,日本国政府としても,戦争賠償及び請求権の処理は日華平和条約によって解決済みであるとの考えは維持しつつも,中華人民共和国政府との間でも実質的に同条約と同じ帰結となる処理がされたことを確認する意味を持つものとの理解に立って,その表現について合意したものと解される。
以上のような経緯を経て発出された日中共同声明は,中華人民共和国政府はもちろん,日本国政府にとっても平和条約の実質を有するものにほかならないというべきである。
そして,前記のとおり,サンフランシスコ平和条約の枠組みは平和条約の目的を達成するために重要な意義を有していたのであり,サンフランシスコ平和条約の枠組みを外れて,請求権の処理を未定のままにして戦争賠償のみを決着させ,あるいは請求権放棄の対象から個人の請求権を除外した場合,平和条約の目的達成の妨げとなるおそれがあることが明らかであるが,日中共同声明の発出に当たり,あえてそのような処理をせざるを得なかったような事情は何らうかがわれず,日中国交正常化交渉において,そのような観点からの問題提起がされたり,交渉が行われた形跡もない。したがって,日中共同声明5項の文言上,「請求」の主体として個人を明示していないからといって,サンフランシスコ平和条約の枠組みと異なる処理が行われたものと解することはできない。
エ以上によれば,日中共同声明は,サンフランシスコ平和条約の枠組みと異なる趣旨のものではなく,請求権の処理については,個人の請求権を含め,戦争の遂行中に生じたすべての請求権を相互に放棄することを明らかにしたものというべきである。
うーん。
「サンフランシスコ平和条約の枠組み」論というのを、この判決は出してきます。でその「枠組み論」だけで押し切って「個人の請求権放棄」にまで持ってくるわけす。が、日中共同声明締結時にそんなものが意識されたなんて事はないですよね?
であれば、全然無理な論理ということになりましょう。
*1:同上 浅田
12:
yubiwa_2007
7
Re:Re:控訴棄却の理由(使用者責任の認定)
nagaikazu先生、はじめまして。yubiwa_2007と申します。
つまり、第2審の高裁は、この事案は「国家無答責の原則」に該当しないとみなし、それゆえ民法第715条の使用者責任により、日本国には損害賠償責任があると判断したわけです。ついでにいえば、民法第715条第1項には、但し書きがあって、「ただし、使用者が被用者の選任及びその事業の監督について相当の注意をしたとき、又は相当の注意をしても損害が生ずべきであったときは、この限りでない」と、使用者責任が解除される条件も規定されていますが、高裁はこの事案の場合この但し書きが適用できるとは判断しなかったようです。
このように高裁は日本国には、日中双方の民法からして損害賠償責任があると認定したうえで、国際条約により戦時賠償についてすべての請求権がすでに放棄されているとして、原告の請求を棄却する判決を下したわけです。
この判決の論理構造は、今回の最高裁の判決でも維持されています。異なるのは、請求権の放棄の条約上の根拠を日華平和条約から日中共同声明に移し替えた点です。
よって、日本の裁判所は、この事案に関しては、「国家無答責の原則」は適用できないとの判断をくだしたわけであり、日本国には使用者責任に基づく損害賠償責任があると認定していることになります。
今回の中国人「慰安婦」第2次訴訟の最高裁判決では国家無答責の原則の適否については判断されていないようです。日中共同声明による個人請求権放棄により被害者の請求は棄却されると判断したもので、その他の法的問題については最高裁としての判断を行っていません。
なお、この事件の原審である控訴審(東京高裁)判決では、本件加害行為が「何らかの法令・規則又は軍の命令に基づいて行われたものではないし,非戦闘員(一般市民)であった控訴人郭らを連行して長期間監禁し,繰り返し性暴力を加えたという残虐非道なもので,当時においてもへ一グ陸戦条約及ぴへ一グ陸戦規則等の国際法に反していたことが明らかであり,戦争行為・作戦活動自体又はこれに付随する行為とはいえ」ないので「国の公権カの行使に当たるとは認められ」ず、従って国家無答責の原則は適用されないとされています。
つまり、この事件が前線の兵士が私的な慰安所を勝手に作ったものであるという事実認定を前提として、国家無答責の原則の適用場面ではないとしたものです。
従って、日本国憲法制定以前の国の不法行為について国家無答責の原則が適用され免責されるという一般論そのものは否定されていないので、この控訴審判決の論理だと、前線の兵士が勝手に作ったものではない、例えば「漢口慰安所」などだと「戦争行為・作戦活動自体又はこれに付随する行為」だとして国家責任が否定されることになりえます。
( もっとも、元々、国家無答責の原則が適用されるのは、警察・軍事・税務・収容などの公権力の行使に関するもので、国家の私経済的な活動の分野、あるいは公物・営造物の設置・管理の瑕疵に基づく損害については権力的作用から切り離された非権力的作用だとして、戦前においても損害賠償責任が判例上ある程度は肯定されていました。
慰安婦とされた女性の被害が国家の権力的作用によるものか、非権力的作用によるものかは解釈次第でしょう。)
http://www.suopei.org/saiban/ianfu/second/hanketsu.html
学説上は、国家無答責の原則の適用そのものを一般的に否定する見解が有力です。裁判例でも「公権力の行使が人間性を無視するような方法で行われ、損害が生じたような場合にまで、民事責任を追及できないとする解釈・運用は、著しく正義・公平に反する」あるいは「国家無答責の法理は現行法下では合理性・正当性を見いだしがたい」として、国家無答責の原則の適用そのものを一般論として否定したものが既にあります。
例えば、中国人強制連行・新潟訴訟の新潟地裁の判決などで、これについて「思考錯誤」掲示板に投稿したことがあります。↓
http://t-t-japan.com/bbs/article/t/tohoho/8/kfgqrf/index.html
国家無答責の原則の適否については下級審の判断はまちまちであり、最高裁によっては未だ判断されていないのが現状です。
なお、民法715条の使用者責任についてですが、使用者責任は他人(被用者)の不法行為責任についての代位責任であるとする考え方が今日の学説・判例では支配的で、事実上、無過失責任に近い運用がなされていると言われています。
従って、同条1項但書前段の「使用者が被用者の選任及びその事業の監督について相当の注意をしたとき」との免責事由の存在は先ず認められません。(確か、免責が認められたのは、戦後の判例では1件もなく、戦前でもごくごく僅かしかないと思います。)
また、同但書後段の「相当の注意をしても損害が生ずべきであったとき」については、当然の事理を述べたものに過ぎず代位責任説のもとでは特に意味はないと学説の多くは考えており、現実に問題になることはほとんどありません。
いずれにせよ、715条1項但書の免責を認めなかったのは当り前なので、特筆するようなことではありません。
細かい話ですみません(^^ゞ
13:
yubiwa_2007
6
Re:Re:今日のニュースから
Apemanさん、こんにちは。先日のオフ会ではどうも。
この判決によって、少なくとも中国の被害者に対しては日本は個人補償義務を負わないということが(国内的には)確定したわけです。
これは、今回の最高裁判決の理解としては正しくないと思います。
サンフランシスコ講和条約の枠組みにおける請求権放棄の趣旨が,上記のように請求権の問題を事後的個別的な民事裁判上の権利行使による解決にゆだねるのを避けるという点にあることにかんがみると,ここでいう請求権の「放棄」とは,請求権を実体的に消滅させることまでを意味するものではなく,当該請求権に基づいて裁判上訴求する権能を失わせるにとどまるものと解するのが相当である。
この「請求権を実体的に消滅させることまでを意味するものではなく,当該請求権に基づいて裁判上訴求する権能を失わせるにとどまる」の意味ですが、一般的に債権の効力は、弱いものから順に、給付保持力、訴求力、執行力という段階があると言われています。
給付保持力とは任意に給付されたものを受け取って保持する権利(債務者から返還請求を受けることのない権利)のことで、訴求力とは判決手続で実体法上の権利の存否を判定してもらえる権利のことで、執行力とはその確定判決の内容を強制執行によって実現できる権利のことです。
今回、最高裁は、個人請求権は国際条約によって執行力はおろか訴求力までも失われたのだが、「請求権を実体的に消滅させることまでを意味するものではなく」と述べていることから、給付保持力については認めたと読めるのです。
この給付保持力すらないとなると、これまでの戦後補償等で和解で被害者に支払われたものまで、債務がないのに弁済がなされたとして、不当利得返還請求を受けることになりかねませんが、それはないということです。
また、この給付保持力しかない債権は「自然債務」とも呼ばれ、強制執行によって実現可能な「法律債務」と区別されます。
このような給付保持力しかない債権が存在することは、カフェー丸玉女給事件という戦前の有名な大審院の判決以来、認められているのです。
つまり、債権者は裁判所という公権力の手を借りて債権を実現することまではできないが、非常に弱い形で債権自体はあり、債務者は自分の財産を差し押さえられるなどの強制執行をされることはないものの、債務を履行する義務が完全にないわけではなく、少なくとも道義的な履行義務ぐらいはある、ということです。
従って、「中国の被害者に対しては日本は個人補償義務を負わないということが(国内的には)確定した」と言い切ることまではできません。
むしろ、今後も補償を拒み続ければ、少なくとも道義的な責任は免れないはずです。
また、今後の戦後補償裁判でも、裁判所は終局判決によって解決することはできなくても和解あっせんのイニシアを持つことは十分可能なのです。
14:
nagaikazu
12
Re:Re:Re:控訴棄却の理由(使用者責任の認定)
yubiwa_2007さん、ご教示ありがとうございます。
お礼を申し上げるのが遅れましたことをお詫びします。
私は法学にはうといもので、ebizohさんとの議論があのまま続いていたら、どうしようかと思っていたくらいですので、ご教示には感謝しています。
上告の争点が「国家無答責の原則」に関するものではなかったので、たしかに最高裁ではこの問題についての直接の判断は下していないとみるべきなのでしょうが、しかし高裁の判決のこの部分は最高裁の判決でもとくにコメントなしに引用されていますし、最高裁としては高裁の判断は妥当だとみなしていると考えていいのではないでしょうか。
ともかく、この事件に対する高裁・最高裁の判断で興味深いのは、「日本軍が女性を拉致して「性奴隷」としても、それは一部の兵士のしわざで、日本軍が組織としてやったのではない。だから日本政府に責任はない」という主張に対して、末端の部隊がおこなった不法行為であっても、日本政府には民法上の「使用者責任がある」と認定したことだと思われます。
なお、高裁の判断では
従って、日本国憲法制定以前の国の不法行為について国家無答責の原則が適用され免責されるという一般論そのものは否定されていないので、この控訴審判決の論理だと、前線の兵士が勝手に作ったものではない、例えば「漢口慰安所」などだと「戦争行為・作戦活動自体又はこれに付随する行為」だとして国家責任が否定されることになりえます。
とのご指摘ですが、しかしそうであれば、軍の命令によって慰安婦の強制連行がおこなわれた場合には(というかその場合にのみ)、「国家無答責の原則」が適用され、国には責任がないことになります。秦氏や池田氏は、「軍の命令によって強制的に慰安婦が徴募された場合にのみ、国に責任が生じるのであり、そうでない場合には国に法的責任はない」と主張されていますが、高裁の判断では逆で、「国が責任を免れるのは、軍の命令によって強制連行を行った場合だけだ」ということになります。
もっとも、上記の関連が成り立つには、軍慰安所が軍の組織の一部であり、軍慰安所の経営や慰安婦の募集を直接担当したのは、軍から業務を委託された業者であったという事実認識がかかせませんが。
15:
yubiwa_2007
14
Re:Re:Re:Re:控訴棄却の理由(使用者責任の認定)
nagaikazu先生
上告の争点が「国家無答責の原則」に関するものではなかったので、たしかに最高裁ではこの問題についての直接の判断は下していないとみるべきなのでしょうが、しかし高裁の判決のこの部分は最高裁の判決でもとくにコメントなしに引用されていますし、最高裁としては高裁の判断は妥当だとみなしていると考えていいのではないでしょうか。
いえ、「国家無答責の原則」に関しては最高裁は何も判断していないので、この点について「最高裁としては高裁の判断は妥当だとみなしている」とまで解することはできません。
所論の点に関する原審の判断は,以上のとおり,結論において是認することができる。論旨は採用することができない。
とあります。
この「所論の点」とは国際条約による請求権放棄の問題のことで、「採用することができない」とした原審の「論旨」とは、日中共同声明ではなく1952年の日華平和条約で請求権が放棄されたとした点です。
最高裁は、日中共同声明により日中戦争によって生じた被害についての中国国民の日本国・国民・法人に対する請求権は訴求権能を失ったので、日中共同声明に基づく請求権放棄の抗弁が主張されたときは当該請求は(その他の点を判断するまでもなく)棄却を免れないことになると判示したのです。
従って、「国家無答責の原則」についての原審の判断の妥当性については何ら言及されていません。
ともかく、この事件に対する高裁・最高裁の判断で興味深いのは、「日本軍が女性を拉致して「性奴隷」としても、それは一部の兵士のしわざで、日本軍が組織としてやったのではない。だから日本政府に責任はない」という主張に対して、末端の部隊がおこなった不法行為であっても、日本政府には民法上の「使用者責任がある」と認定したことだと思われます。
民法の使用者責任の成立要件は、①使用関係の存在、②「事業の執行に付き」、③被用者の不法行為、④免責要件の不存在です。
このうち、④は前回述べたようにほとんど問題になりません。最も問題となるのは②の「事業の執行に付き」に当るかどうかという点です。
この点につき、今日の判例・学説は、使用者責任が問題となる事案を取引行為と事実行為に類型化し、事実行為についてはさらに危険物型(自動車事故型)と暴行型に類型化し、それぞれに判断基準を考えるとします。
そして、本件のような女性を拉致して性奴隷にするといった暴行型の事実行為については「事業の執行行為を契機とし,これと密接な関連を有すると認められる行為」であるか否かという事業の執行行為との密接関連性が判断基準になるとされます。
本件加害行為は,上記のとおり,これに関与した旧日本軍兵士らの職務執行行為そのものに該当するとは認められないが,・・・旧日本軍の戦闘行為と密接な関連を有すると認められ,これによって控訴人郭らが被った損害は,被控訴人の被用者である旧日本軍兵士らが事業の執行につき加えた損害にあたるというべきである。
と末端の兵士の不法行為が日本国の事業の執行行為との密接関連性を有することが認められた点で意義があると思われます。
なお、高裁の判断では
従って、日本国憲法制定以前の国の不法行為について国家無答責の原則が適用され免責されるという一般論そのものは否定されていないので、この控訴審判決の論理だと、前線の兵士が勝手に作ったものではない、例えば「漢口慰安所」などだと「戦争行為・作戦活動自体又はこれに付随する行為」だとして国家責任が否定されることになりえます。
とのご指摘ですが、しかしそうであれば、軍の命令によって慰安婦の強制連行がおこなわれた場合には(というかその場合にのみ)、「国家無答責の原則」が適用され、国には責任がないことになります。秦氏や池田氏は、「軍の命令によって強制的に慰安婦が徴募された場合にのみ、国に責任が生じるのであり、そうでない場合には国に法的責任はない」と主張されていますが、高裁の判断では逆で、「国が責任を免れるのは、軍の命令によって強制連行を行った場合だけだ」ということになります。
もっとも、上記の関連が成り立つには、軍慰安所が軍の組織の一部であり、軍慰安所の経営や慰安婦の募集を直接担当したのは、軍から業務を委託された業者であったという事実認識がかかせませんが。
失礼しました。控訴審の判決文を読み返すと、控訴審では、①末端の兵士が何らかの法令・規則又は軍の命令に基づいて行ったのではない、②本件行為が当時においてもへ一グ陸戦条約及ぴへ一グ陸戦規則等の国際法に反していたことが明らかな行為であった、の2点から本件では「国家無答責の原則」は適用されないと判断していますね。
軍の命令によって慰安婦の強制連行がおこなわれた場合は、上記に①には当らずとも②には当りますので、その場合、この判決の論理だと「国家無答責の原則」は適用されるのか否か(つまり、①と②の両方を満たす場合のみ適用否定なのか、②だけでも適用否定なのか)は必ずしも明らかではないようです。
いずれにせよ、ここで問題になっているのは「国家無答責の原則」によって免責される公務か否かという点ですので、秦氏や池田氏が言うところの「国の責任」ないしは「国の法的責任」の問題とは次元が異なると思われます。「国家無答責の原則」が適用されるのか否かの問題は、国家が損害賠償責任を負うのか、さらに言えば、裁判上訴求できるのか、という問題だと解されるのです。
16:
yubiwa_2007
15
Re:Re:Re:Re:Re:控訴棄却の理由(使用者責任の認定)
「国家無答責の原則」について補足しておきます。
明治憲法下において「国家無答責の原則」によって、公権力行使に関わる国の不法行為についての国家責任が否定されていたといっても、それは訴訟レベルの話です。
即ち、明治憲法下では、旧行政裁判法16条が「行政裁判所ハ損害要償ノ訴訟ヲ受理セス」と定め、当時採用されていた公法私法二元論の下では公権力行使に関わる問題は司法裁判所の管轄外とされていたため、公権力の行使に関する公務員の不法行為について、その使用者たる国の損害賠償責任を追及する方法がなかったわけですが、このことは実体法レベルにおける国の損害賠償責任まで否定するものではないのです。
「国家無答責の原則」は、あくまで訴訟レベルにおける国の不法行為責任を(その責任追及の方法を閉ざすことで)否定するものに過ぎず、実体法上の不法行為責任の発生まで否定するものではないと解されるのです。
戦後補償裁判での2003年の東京高裁判決がこのような見解を述べているところですし、妥当な見解だと言えると思います。
なお、国家賠償法施行前でも、民法上の不法行為責任は当然生じえます。
また、前に述べましたように、明治憲法下でも、国の私経済的な活動の分野、あるいは権力的作用から切り離された非権力的作用に基づく損害については、司法裁判所が民法を適用して国の損害賠償責任をある程度までは認めていました。
ところで、ノーモアさんのブログのコメント欄での議論をざっと読みましたが、ebizohさんという人はかなりおかしなことを言っていますね。
簡単に指摘しておきます。
http://d.hatena.ne.jp/nomore21/20070406/1175282909
彼女の証言が真実なら、日本軍人でしょう。
しかし、その場合でも、日本軍は現地での強姦などの犯罪を禁止していた以上、日本の国家責任ではなく、個人責任です。
その国家に属する国民が行った違法行為に国家責任が生ずるためには、相当の注意(due diligence)を以って侵害行為の防止に努めていなかったことが必要ですが、日本軍は上記のように相当の注意を尽くしていたのですから。
「その国家に属する国民」とは公務員(ここでは日本軍人)のことでしょうが、民法上の使用者責任については、確かに民法の起草者は使用者自身の過失(選任・監督上の不注意)に基づく自己責任と解し、使用者が十分選任・監督上の注意をしていれば免責されると考えていたようです。
しかしその後、報償責任(利益の存するところ損失も帰する)・危険責任(危険を支配する者が責任も負う)を根拠に、使用者責任を他人(被用者)の不法行為責任についての代位責任と解する考え方に移行することになります。
その結果、戦前においても、選任・監督上の注意等による免責が使用者に認められたのは、判例上ごくごく僅かしかないのです。
従って、この基準に従う限り、日本軍人による強姦行為について日本国家の使用者責任が「相当の注意を尽くしていたので」免責されると解するのは、先ずもって無理です。
この点でのebizohさんの理解は明らかに間違いです。
>警官が制服着て犯罪を犯したら賠償責任を負うのは国家ですよね?
それは、第二次大戦後、国家賠償法が制定され、かつ、警察官の職務の外形を有していれば国家賠償責任が生ずるとした最高裁判例の確立後の話です。
それ以前は、大審院判例によって、国家無答責の法理が警察や軍などの権力的作用については貫徹されていたので、あくまで警察官個人が賠償責任を負い、国家は負いませんでした。
今日でも公務員個人は(国や公共団体から求償されることはあっても)被害者に直接の賠償責任を負うことは原則としてないとされていますが、それはともかく、前述のように国家無答責の法理によって国家責任が否定されるのは訴訟レベルの話に過ぎないのであって、実体法レベルの責任まで否定されるわけではないということに注意する必要があるでしょう。
まず、国際法レベルでは、第二次大戦当時は国家責任については過失責任主義が主流だったので、そもそも軍人の権限逸脱行為については国家責任が生じていません。現代でも無過失責任主義は国連の条約草案の段階であり、実定法化していないし慣習法化もしていません。多くの国が反対しているので、しばらくは無理でしょうし、仮に慣習法化実定法化したとしても、法の不遡及の原則により、適用されるのは法化以後の行為についてのみです。
また、国内法レベルでも、現代でもまだ国家の無過失責任主義は認められておらず(立法化されない限り無理でしょう)、外形標準説が判例によって導入された段階にとどまります。もちろん、法の不遡及の原則によって、現代の規範を第二次大戦当時には適用できません。
外形標準説が適用されるのは取引行為的不法行為の場合についてで、ここで問題になっている事実行為的不法行為の場合には適用されないとされていますが、それはともかく、民法上の使用者責任は、形式上、建前上は過失責任主義であっても、代位責任と解することで、戦前において既に実質的には無過失責任に近い運用がなされています。
17:
noharra
「中国人強制連行・強制労働北海道訴訟」髙裁判決
■ 「中国人強制連行・強制労働北海道訴訟」髙裁判決
きょう、「中国人強制連行・強制労働北海道訴訟」(1990年9月提訴)のサッポロ高
裁判決がありました。
一審敗訴後、2004年4月1日に控訴した人は98人で、被控訴人は、日本国と日本
企業6社(三井鉱山、住友石炭、熊谷組、新日本製鉄、地崎工業、三菱マテリアル)
でした。
昨年10月24日に結審し、その日裁判長は、判決日を2007年3月20日と指定しまし
た。
しかし、その判決日の前日、裁判長は、判決期日を取り消しました。その真意は、
4月おこなわれると予定・予想されている戦後保証裁判の最高裁判決に追随するためで
した。
(略)
きょうのサッポロ高裁判決は、この最高裁判決に追随するものでした。
「本件控訴を棄却する」という主文を読みあげるだけでそそくさと法廷から消えよ
うとする伊藤紘基裁判長ら3人の裁判官に向かって、満員の傍聴席から、「最高裁に
追随するな」、「恥を知れ」、「茶番だ」……という怒声があがりました。
あるMLより
メモとし、後に差し替え予定。
18:
noharra
17
2007年4月27日の最高裁判決
■ 「中国人強制連行・強制労働北海道訴訟」髙裁判決*2007年4月27日の最高裁判決
「最高裁が法を犯している!」(井上薫 洋泉社新書y192)の紹介
最高裁のあり方を批判するために、著者がケース・スタディとして取り上げたのが、2007年4月27日に、わずか一日の間にぽんぽんぽんぽんぽんと出された五つの判決・決定です。午前には、第二小法廷において、強制連行された中国人元労働者が西松建設に求めた損害賠償を棄却。同日午後には、第一小法廷において、中国人女性が日本国に対して求めた損害賠償請求(いわゆる第二次慰安婦訴訟)を棄却。他の三件は第一次慰安婦訴訟(第一小法廷)、劉連仁事件(第二小法廷)、強制連行福岡訴訟(第三小法廷)という中国人らが原告となり戦時中の被害について賠償を請求した同種の裁判ですが、いずれも上告を棄却、内容については判断せずという決定でした。その理由は、日中共同声明により個人の請求権は放棄されたというものです。
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